スタンリー の お 弁当 箱。 スタンリーのお弁当箱の上映スケジュール・映画情報|映画の時間

映画「スタンリーのお弁当箱 」ネタバレあらすじと結末・みんなの感想

スタンリー の お 弁当 箱

クラスの人気者スタンリーくんは家庭の事情で学校に弁当を持ってくる事が出来ず。 クラスメイトが弁当を分けてくれるが、それを先生に厳しく注意され…。 以前見た「女神は二度微笑む」同様、歌ったり踊ったりしないインド映画。 子供たちの生き生きとした演技は万国共通で、インドの教育問題や社会背景をもスパイスとして絡めた好編。 にしても、あの先生は不条理! 「きっと、うまくいく」でも居たけど、インドの先生は傲慢ばかりなの?? ちょっと趣旨は違うが、自分が中学時代も不条理な教育があった。 例えば、誰かがたかがお菓子を学校に持ってきただけで、放課後学年全員集められ、説教。 そんな事あったなぁ…、と思い出していた。 お弁当一つで1本作れる、映画の面白い所、インディーズのアイデア勝利。 お弁当箱の中には、色んなものが詰まっている。 ネタバレ! クリックして本文を読む スタンリー君の家庭の真相を知った時、あまりの意外な 展開に涙してしまうのだが、そんな衝撃ですら冒頭から 登場する超横暴教師の他人の弁当根こそぎ貰ってやる的 行動にはビックリして唖然呆然。 何なんだ?あの教師は。 インドが実は弁当大国であったことを最近知ったのだが、 スタンリー君の小学校でも給食はなく、弁当持参らしい。 実は労働者階級の子供たち向けに無料の給食というのも あるらしいのだがその中に毒物が混入されるという事件 が実際にあったそうだ。 どこの国でも給食事情は厳しい ようだが、そんな中でも困ったら分け合うという根本的 な協力でスタンリーを助ける級友たちが誇らしい。 皆と 仲良く学校生活を送れるだけで子供は楽しいものなのに、 そんな幸せを奪い去るのが教師だとはとにかく許せない。 演技未経験の子供達の自然な表情がドキュメンタリーに 匹敵する雰囲気で、ひょうきん者のスタンリー君が実は… という終盤でこれもリアルな状況かと思われる貧困層の 実態や、子供の教育や養育について深く考えさせられる。 美味しい弁当を作ってもらえることの有難みを実感せよ ネタバレ! クリックして本文を読む 映画冒頭、スタンリー少年の登校場面。 画面の高さと彼の背丈を合わせたショットが続く。 次第にその顔をアップでとらえるようになると、数か所のあざがあることを観客は認める。 ここまでで主人公が弱く小さな存在で、しかも誰かから暴力を受けていることが分かる。 この少年が学校にお弁当を持参しないことで事件が起きて、そのことがきっかけでスタンリーに思いがけない幸運もやってくるという話。 主人公以外の画面に映し出された人物の描写も、一つ一つが説得力があり、それぞれの個性や物語中の役割がしっかりとしている。 特にスタンリーへの理解・共感と無理解・抑圧の役割を人物によって描き分けているところが明快である。 学校という場、子供の生活は同じことを毎日繰り返す単調さがある。 映画はこの単調さを逆手にとって、登場人物たちの変化を描いている。 例えば、互いのひじがぶつかり合うことで喧嘩を繰り返す二人の子供。 原因は利き腕の異なる二人が並んで座っていること。 英語教師はこれに、互いの利き腕がぶつからないように左右入れ替わって座ることを提案し、この二人に安寧をもたらす。 また、食いしん坊でスタンリーに意地悪な先生はいつも顔の汗を拭っている。 ところが、終盤でスタンリーへの暴言を悔いた時、彼が拭ったものは汗ではなく涙であった。 この演出があればこそ、全ての観客の憎悪の対象であったこの国語教師が、心から詫びていることが分かるのだ。 このほか、毎朝教室から正門を見下ろすスタンリーが待っているのは大好きな英語の先生。 しかし、彼女は結婚式のあとしばらく休暇をとるのだ。 この休暇中の寂しさを、彼女が入ってくることない正門をじっと見つめる姿が表わしている。 挙げればまだある。 スタンリーに弁当を分けてあげるために、昼食をとる場所を毎日変えるようになって、みんなが嫌いな国語教師はその本性をむき出しにし始める。 そして、このことがスタンリーが学校へ通えなくなる事件へと繋がっていくのである。 決まった時間に教室で食べていた昼食も単調な繰り返しなら、毎日通う学校へ通えなくなるということも、単調な繰り返しが破たんするという事件である。 くどくどとした説明ではなく、映像で観客をひき込める内容となっているのだが、その内容を言葉で説明してしまう歌唱がところどころに入り、このあたりがインド映画らしい。 観客として想定している人々が映画に求めているものを考えて、こうした歌を挿入しているのだろうが、正直なところ必要ないと思った観客も多かったのではないだろうか。 貧しさ、境遇の辛さを補って余りある楽しさをスタンリーは感じて日々を生きている。 このような映画は、周囲の皆が貧しい時代には生まれてこない。 そして、みんなが豊かになってしまった社会にも出てこないだろう。 豊かになった者、豊かになった人々から忘れ去られようとしている者が分化し始めた場所にこのようなドラマは生まれる。 戦後から高度経済成長に入りかける頃の日本。 90年代の韓国、台湾、中国、80年代の香港。 映画制作国の多くが、素晴らしい作品を次々と世界に向けて出していた時代をそれぞれに持っている。 ネタバレ! クリックして本文を読む 最初はどんな映画なのか全く分からなかった。 まず、インドにもお弁当の習慣があった事も知らなかった。 素朴な物もあるが、とても豪華なお弁当には驚いた。 ビリヤニとか出てきて本当に美味しそう。 やっぱりみんな手で食べるんだな。 この題材だと、やり切れないほど辛い境遇に追い込まれている設定が十分に考えられるが、この映画はたくさん救われる部分があって、見ていて心温まるものだった。 でも切ないけど…。 結局、悪者はおじさんだけ。 あの先生も自分を恥じて去っていったし。 このおじさんが最低過ぎるが…。 スタンリーを囲む周りの人間が皆優しい。 友達も、女の先生も、校長先生も。 見ていて救われる。 恐らくスタンリーは親に虐待を受けているのだろうと思っていたが、違った。 とても優しそうな両親の写真だった。 ここでも救われた。 そして最後、スタンリーのお弁当は誰が作っているのか。 一緒に住んでいるお店の調理人の優しさに本当に救われて安心した。 なんだか不思議な映画だが、後味の良い映画だった。 ネタバレ! クリックして本文を読む 最近観たインド映画はすべて本当に話がよく出来ていて感心したのだが、それらの作品に比べると脚本のレベルは落ちるし、キャラクター造形にも疑問が残る。 その最たる例が、監督自身が演じているヴァルマー先生だ。 子供達が団結するために、分かりやすい悪役キャラクターにしたかったのだろうが、 ただの意地汚い食いしん坊だとしても、自分では弁当を持参せずに周囲の教師の弁当を当てにし、更には子供達の弁当まで寄越せと要求し、子供達が(弁当を持って来られない)スタンリーに分けてやるために自分に隠れて弁当を食べていれば逆ギレして「弁当を持たない奴は学校へ来るな!」と言い放つ、いくらなんでもこんな教師がいるだろうか? しかし、それでも尚この映画が魅力的に映るのは、子供達の生き生きした表情と自然な演が素晴らしいからだ、。 彼等の姿を見ていると、すべての子供達がお腹いっぱい食べ、等しく教育を受けられる世界を祈らずにはいられない。 スタンリーは、両親が亡くなった後引き取られた叔父の店で働くアクラムに店の残り物で作ったお弁当を持たせてもらえるようになるが、それでも、それを「お母さんが作った」と自分の置かれた厳しい環境を隠す。 子供のつく嘘はとても切ない。 インドの貧しい生活が心に来る。 スタンリーは学校から帰れば夜遅くまで飲食店を手伝い硬いベッドで寝て、朝が来てまた学校にいく。 こんな子供がたくさんいるんでしょうね…… うまく言えないんですけど、発展途上国ではそんな不幸は当たり前なんだ、と強く思いました。 だけどその貧しさを解決するのではなくて、どうしようもないこと、仕方がないことのように扱って、根本の原因を解決するのはないのがインド的。 完璧なハッピーエンドじゃなくて、別のもので昇華する方向。 ありえないシンデレラ・ストーリーではなく、好きな表現です。 先生はキリスト教の悪食を思わせるんですが、インドにもその概念があるんでしょうか? もし無いなら、海外受けを視野に入れた作品なのかな。 <解説>アクションやミュージカルが詰め込まれた娯楽大作映画が主流のインド映画界で、素人の子どもたちを集めて撮られた小作ながらも、大ヒットを記録したハートフル・コメディドラマ。 みんなを笑わせるのが大好きなクラスの人気者スタンリーは、家庭の事情で学校にお弁当を持ってくることができず、昼食の時間はいつも水道水を飲んでお腹を満たせていた。 そんなスタンリーを助けようと、級友たちはお弁当を分けてあげるが、食い意地の張った先生に見つかって弁当を取り上げられた上、スタンリーは先生から「学校へ来なくていい」と言われてしまい……。 インド映画は初めて見るって感じで鑑賞しました。 思ったことは良い意味でも悪い意味でも粗い感じがしました。 前半~中盤くらいまでのスタンリーとその仲間たちVS食いしんぼ先生とのやりとりなんかは良かったです。 しかし後半はスタンリーのコンサートの下りがあったり、スタンリーの学校以外での生活がわかるシーンなんかも凄く唐突です。 その分強いメッセージを感じますが、前半の流れをもっとうまく後半の繋げてほしかった。 まぁでもそんなことはどうでもよくて、子供たちの演技が素晴らしかった。 例えばクラスの仲間がスタンリーを追いやった先生を軽蔑する眼差しなんかはスタンリーという人物が彼らにとってかけがえのない存在であるってことが伝わってジーンときました。 まとめると彼らの一喜一憂する姿は可愛らしいし、授業を真剣に聴いてる表情は明るい未来を感じさせます。 とても元気をもらいました。 ありがとうございます。 ネタバレ! クリックして本文を読む インド映画というと、歌って踊って底抜けに楽しい。 ってイメージを持っていて、実際今まで観てきた映画は、その通りだった。 この映画は踊るところはほぼ無い上、スターも出ないし、何より落ち着いた雰囲気、限りない日常感は、有名なインド映画とは違う雰囲気を、醸し出しており、ちょっと違うぞと感じさせる。 国は違うが、「友達の家はどこ」を思い出せた。 とは言え、歌をうまく使っての説明、またコンサートの練習シーンは、躍動感がありスタンリーが輝いて見えた。 この部分は流石インドだなと関心する。 スタンリーの置かれている状況は、かなりヒドく、作り方よによっては、悲痛な感じを出せるのだが、決して悲観させない演出や、スタンリーの言動は心を打たれる。 彼は、とても良い奴で、愛される人間であるだけに、観ていて切なくなった。 ちょっと大人過ぎている気はあるが、こうしないと彼が生きてゆけない、という現実を突きつけられるようで・・・。 ラストの方で、お弁当を持ってゆくスタンリーの姿は、本当に晴れ晴れとしており、実に素晴らしいシーンだ。 そのお弁当を、様々な人に分ける姿は、眩し過ぎて・・・。 彼は周りの人に助けられており、そのお返しをしたいという気持ちなのだろうが、これはもう何といって良いのか分からなくなる。 彼を良く思わずつらく当たった国語の先生へも、お弁当をあげると、スタンリーには言ってしまう。 その先生は、恥ずかしさのあまり、彼の前から去ってしまうのだが・・。 何より、そのお弁当は、どのように作られたのかを知ると、もうどうして良いのか分からなくなる位、心が震える。 スタンリーは、出来過ぎた人、の印象は受ける。 映画の終わりにインド社会の抱える、就労児童の存在という問題について言及されるが、彼の存在はその問題に対する、強烈な訴えのように感じる。 お弁当というある種普遍的な要素を上手く使い、過酷な問題を優しく、でも強烈に訴えかけてくる映画として、作る監督の手腕は素晴らしい。 これが初監督作品とは思えない。 次回作を楽しみにしてしまう監督だ。 ネタバレ! クリックして本文を読む この作品を観に行く時は、是非、空腹でお出かけ下さい!! 映画を観て、最初に心を満たした映画の後は、思いっきり、美味しい物を食べに行きましょう! この映画は、インド映画では珍しく96分と尺も短いし、そしてダンスも歌も多く出てきません。 だから空腹の心配無しに、映画を思いっ切り楽しめますよ! さてこの作品は、誰にでも、お弁当にまつわる思い出は人それぞれが持っているものですよね。 私達観客にも、そんな自分達の子供の頃の、楽しいお弁当の思い出を蘇らせてくれる、幸せで、楽しい映画がやって来た。 私には、お弁当を持って学校へ行った思い出は、遥か遠い昔の出来事ですが、映画の中で早弁をする生徒をみたら、自分もよく、同じ事をしたのを急に思い出しました。 インドの子供もみんな同じ事をしているのが、可笑しくて、可愛いやらで、笑いが一杯です。 そして、主人公のスタンリー君と、彼のクラスメートとの堅い友情の物語を観ていると何だか心が洗われる思いが込み上げてきました。 ところで、この広い世の中には、お弁当を持参出来ない子供達も実は、大勢いるのだよね。 悲しいけれど、これも辛い世の中の現実だ。 この作品はそんな子供の姿を浮き彫りにしてみせます。 この映画の主人公のスタンリー君も、実はそんな訳有り家庭で暮らしている一人です。 いつも、お弁当を持参出来ないでいた、スタンリー君に、気付いたクラスメートが自分達のお弁当を彼の為に、少しずつシェアーしてくれる優しい場面も本当に微笑ましい。 みんなで食べられるお弁当の味は、本当に最高だよね。 この作品では、インドの現役小学校の子供達の自然な授業風景がみられる事も、とっても楽しい見所の一つでもあります。 この映画を監督されたアモール・グプテ氏は、毎週学校が休みの土曜日を利用して、4時間だけ撮影して、毎週毎週土曜日に学校へ通い続けて、実に1年半の歳月を費やして映画を完成させたと言います。 これは、撮影によって子供達の学生としての、学習時間が奪われてしまう事が無いようにとの、配慮から生れた撮影プランだったそうです。 撮影は小型カメラを使用し、実際に現在学校で使用されている教科書で授業の問題を出題し、実際の課外授業の一環として映画は創られていったそうです。 それだから、クラスの子供一人一人の表情も活き活きとしていて、明るく、楽しそうでした。 これは、実話では決してありませんが、しかし、この広い世の中には、スタンリー君と同じ境遇の子供達は大勢存在する筈です。 そんな境遇に暮すスタンリー君が一人でも減る事を願うばかりです。 そして、監督はお弁当を誰か、愛する人の為に日々作り続けている人の苦労を労い、お弁当を創るみんなに感謝の思いを込めてこの映画を制作されたと言います。 是非、貴方にもお弁当の思い出が有るならば、この映画を観たら、思い出のお弁当の作り手に感謝の気持ちを伝えてくれたら、また貴方自信の幸せな瞬間を創る事が出来るのではないかな? お礼の気持ちを伝えるのは、照れていまい、中々伝えられないものだけれども、 是非、この映画の機会を利用して、楽しい時間を過ごして貰えたら、こんなに幸せな事はありませんよね! 最後にこの映画のエンドクレジットで、1200万人の子供達が就労している事実が告げられ、家事就労を含めると5000万人の子供が働いていると言います。 多くの日本の子供達は、お受験で厳しい環境に暮しています。 しかし、学校で只勉強にだけ集中して暮せる環境に住む事が実は、世界のレベルの中でみると、どれ程恵まれている事なのか、改めて思い知らされました。 さすがは、マハトマ・ガンジーを産んだインドでは、映画にもスパイスが効いていて、楽しいだけの映画では無く、奥深い作品でした。 C 2012 FOX STAR STUDIOS INDIA PRIVATE LIMITED. 「デスカムトゥルー」 C IZANAGIGAMES, Inc. All rights reserved. 「ソニック・ザ・ムービー」 C 2020 PARAMOUNT PICTURES AND SEGA OF AMERICA, INC. ALL RIGHTS RESERVED. 「エジソンズ・ゲーム」 C 2018 Lantern Entertainment LLC. All Rights Reserved. 」 C 2019 Sony Pictures Television Inc. and CBS Studios Inc. All Rights Reserved. 「ドクター・ドリトル」 C 2019 Universal Pictures. All Rights Reserved.

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スタンリーのお弁当箱とは

スタンリー の お 弁当 箱

暑中お見舞い申し上げます。 今回は灼熱の国インドの弁当にまつわる映画を紹介したい。 異色のインド映画 ステンレス製の弁当箱(ダッパー)。 映画の最後に出るクレジットタイトルによると、勉強に支障をきたさないよう休日の土曜日に素人の子供たちを小学校に集め、4時間ずつ1年半にわたって撮影されたということだ。 両親と死別し叔父の経営する飲食店で働かされ虐待も受けているスタンリー(パルソー)が、逆境に負けず健気に生きていく姿を通して、インドの貧困と児童労働問題を描いた。 スタンリーはこうした境遇を級友や先生たちには隠して明るく振舞い、クラスの人気者になるが、子供たちに弁当をたかる意地汚い国語教師のヴァルマー(アモール・グプテ)に目の敵にされ、弁当を持って来れないなら学校に来るなと言われてしまう。 ヴァルマーを自ら演じたグプテ監督はスタンリーを演じたパルソーの実父でもある。 彼は子供たちに台本の代わりに教科書を与え、最後まで映画の撮影とは知らせなかったという。 画面にも子供たちのそうした感情が自然と表れ、ドキュメンタリー映画のようなリアリティを作品に与えている。 インドの弁当事情 左から、オレンジ色のカレー、パッタゴービーアールー(キャベツとジャガイモのサブジ)、チャパティ(パン)、ダール(豆のカレー)、マッシュルームの炒め物 映画を彩っているのが、子供たちが持ち寄る弁当の数々だ。 タイトルにもなっている弁当箱は、「ダッバー」と呼ばれるものだ。 香辛料をふんだんに用いるインド料理でも匂い移りや色移りのしにくいステンレス製で、一品ずつ入る段重ねになっている。 弁当の中身で特徴的なのは、チャパティ (薄いクレープ状のパン)のような主食だけでなく、サブジ(野菜のカレーやおかず)などでもスプーンやフォークを使わずに手でそのまま食べられる品目が多いことだ。 味覚だけでなく、清浄とされる右手の触覚でも料理を楽しむインド人の文化が見てとれる。 ただ、ヴァルマーの弁当のつまみ食いは下品そのものだが……。 映画では、母親たちが弁当の惣菜を一つずつ、手間をかけて丁寧に調理していく手元が映し出され、どこの国でも、弁当には作る人の食べる人に対する愛情がこもっているものだという当たり前のことを再認識されられる。 そして、両親のいないスタンリーもある人に弁当を作ってもらうことでめでたく再登校を果たすのだが、それについては実際に映画を観て確認いただきたい。 映画王国ボリウッド ご存知の通り、インドは映画の製作本数が世界最多規模の映画大国だ。 インド映画の撮影拠点があるムンバイのかつての名はボンベイ。 その名とハリウッドにかけて、同地の映画産業は「ボリウッド」と呼ばれ、前述のマサラムービーをはじめとするさまざまな映画が、ヒンディー語、タミル語、テルグ語、カンナダ語、ベンガル語、マラヤーラム語、ボージュプリー語、グジャラート語、オリヤー語、英語といったインド各地の言語に吹き替えられて製作されている。 最近、「ムトゥ 踊るマハラジャ」にも出演したインド映画界のスーパースター、ラジニカーントが主演したSFアクション大作 (2010)や、インド国内で歴代興行収入第一位を記録したコメディ(2009)が日本でもヒットし、第2のインド映画ブームが到来している。 インド映画ファンにとってうれしい限りだ。 第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。 第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。

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スタンリーのお弁当箱の上映スケジュール・映画情報|映画の時間

スタンリー の お 弁当 箱

『 スタンリーのお弁当箱』(スタンリーのおべんとうばこ、 Stanley Ka Dabba)は、のの。 本作に俳優として出演もしている ()の監督デビュー作であり、主演の ()はグプテ監督の息子である。 スタンリーのお弁当箱 Stanley Ka Dabba 監督 () 脚本 アモール・グプテ 製作 アモール・グプテ 出演者 () () アモール・グプテ 音楽 ヒテーシュ・ソニック 撮影 アモール・ゴーレ 編集 () 製作会社 配給 フォックス・スター・スタジオ 公開 2011年5月13日 2013年6月29日 上映時間 96分 製作国 言語 英語 本作は、1年半にわたって演技経験のない子供たちを毎週土曜日に学校に集め、映画のとして製作された作品であり、子供たちは最後まで映画撮影と知らず、また子供たちにカメラの存在を気付かれないようにすることで自然な表情を引き出している。 ストーリー の系の学校に通う4年生のスタンリーは明るい性格でクラスの人気者だが、家庭の事情で弁当を持ってくることができないため、昼食の時間はクラスメートに隠れて水道水で空腹を紛らわせていた。 そんなスタンリーを見かねたクラスメートたちは自分たちの弁当を少しずつスタンリーに分けてあげようとするが、何かにつけてスタンリーを目の敵にしている中年国語教師ヴァルマーに横取りされてしまう。 実はヴァルマーは自身も弁当を持って来ておらず、いつも同僚や生徒たちに集っており、特に金持ちの息子であるアマン・メヘラの豪華な弁当を狙っていたのだが、その企みを見透かした生徒たちに出し抜かれたことから激怒、スタンリーに「弁当を持って来ない生徒は学校に来る資格などない」と叱りつけてしまう。 ショックを受けたスタンリーは翌日から学校を休むようになる。 しかし、クラスメートたちの支えもあり、スタンリーは「ある方法」で用意した自分の弁当を持って登校すると、ヴァルマーに弁当を見せて学校に来て良いか尋ねる。 既に自分の大人げない行為を深く恥じていたヴァルマーは、スタンリーに謝罪の手紙を残して学校を辞める。 スタンリーはクラスメートたちに両親が仕事でに行っているために弁当が用意できないのだと言っていたのだが、実は両親は交通事故で亡くなっており、意地悪な叔父の経営する食堂で下働きをさせられていた。 その食堂の料理人が店の残り物でスタンリーの弁当を用意してくれたのである。 スタンリーは豪華な弁当を「お母さんが早起きして作ってくれた」と言って嬉々として教師やクラスメートたちにも分ける。

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