デカメロン ペスト。 【史料】14世紀半ば、フィレンツェを襲ったペスト

『デカメロン』、あるいは感染症によって引きこもった人々の物語(2020)|Saven Satow|note

デカメロン ペスト

ペストで黒くなってしまった手 ペスト(: Pest, : plague )とは、の感染によって起きるである。 症状は、発熱、脱力感、頭痛などがある。 症状は感染後1-7日後ほどで始まる。 別名 黒死病(: Black Death, : Schwarzer Tod)は感染者の皮膚がによって紫黒色になることに由来する。 感染ルートや臨床像によって腺ペスト、肺ペスト、敗血症型ペストに分けられる。 ・動物由来感染症である。 などをとし、主にによって伝播されるほか、やからの直接感染や、ヒトーヒト間での飛沫感染の場合もある。 感染した場合、治療は抗生物質と支持療法による。 英語で伝染病を意味する plagueはペストを指すように伝染病を代表し、複数回のが記録されており、に起きた大流行では、当時の4億5000万人の22%にあたる1億人が死亡したと推計されている。 末に ()やによって原因菌が突き止められ、有効な感染防止対策がなされ流行は減ったが、近年でもペストの感染は続いており、2004-2015年で世界で56,734名が感染し、死亡者数は4,651名(死亡率 8. のではに指定されている。 なお、一類感染症では唯一の細菌感染症である。 敗血症性ペストで皮膚が黒くなってしまった足 1割がこのタイプとされ、局所症状を呈しないままペスト菌がによって全身にまわりを起こすと、急激なショック症状、昏睡、のあちこちに出血斑ができて、手足の壊死を起こし全身が黒いあざだらけになって死亡する。 肺ペスト pneumonic plague [ ] 腺ペストの流行が続いた後に起こりやすいが、時に単独発生することもある。 腺ペストを発症している人が二次的にに菌が回って発病する。 肺ペスト患者の咳やくしゃみによって飛散したペスト菌を吸い込んで発病する。 呼吸困難となり治療しなければ数日で死亡する。 原因 [ ] 吸血した血を貯えたオリエンタルラットノミ 、、などをとし、が媒介しヒトに伝染する。 ペストというのは元々(特に)に流行した病気であるので、まずネズミなどの間に流行が見られた後に、イヌ、ネコ、ノミなどを介して、に伝染して人社会で感染が拡大する、という経緯をたどることが特に多い、と考えられている。 ヒトがこのサイクルに入り込むことによってペスト菌への感染が成立する。 アメリカでは野生の、、も感染宿主である。 にペットの犬を感染源とするヒト肺ペスト流行が報告された。 モンゴルや中国では、野生の猟師でペスト集団感染が報告されている。 このように動物との接触感染が報告されているため、野生動物および等の愛玩動物との過度の接触にも留意すべきである。 感染ネコからの飛沫感染で肺ペストを発症した例も5例の報告がある。 なお、食ではの肝臓を生食してペスト菌による咽頭炎を発症したサウジアラビアの例がある。 「腺ペスト」の場合、患者の身体から 菌に汚染された体液が浸み出し、衣服にもつく。 別の人(未感染者)が患者の身体や患者の衣服に触れると菌がうつり感染する。 「肺ペスト」の場合は、患者が肺炎にかかり、咳をし、菌が大量に入った()やツバの飛沫が飛び散り、感染者の身体の表面、、周囲のモノなどにつき、そこから感染する( )。 他のヒト(未感染者)が、感染者の身体、衣服、周囲のモノなどに触れると菌が粘膜から入り感染する。 感染者の血痰やツバの飛沫を直接浴びた場合も当然 感染する。 肺ペスト患者からのペスト菌を含んだ血痰などは、1〜2メートルは飛散する。 診断 [ ] 血液、痰、リンパ節からの膿などをサンプルとして採取し検査する。 治療 [ ] 適切なによる治療が行われなかった場合、現在でも30%以上の患者が死亡し、腺ペストでの死亡率は30〜60%、肺ペストの場合はさらには高まる。 これはに匹敵する。 ただしペストは早期に適切な抗菌薬を投与すれば20%以下に抑えることが可能。 にされ、株ごとに異なる感受性のあるによる治療が行われる(、、、、等)。 治療薬として系、系もしくは系のが使用される。 予防 [ ] 予防策として、• 感染の予防策としてはペスト菌を保有するノミや、ノミの宿主となるネズミの駆除• 腺ペスト患者のに触れない• 患者部屋への立ち入りを制限• 患者の 2メートル以内に接近する場合。 マスク、眼用保護具、ガウン、手袋の着用• テトラサイクリン、ドキシサイクリン、ST合剤の予防内服 が挙げられる。 なお、有効なワクチンは存在しない。 によるによれば、ワクチンの有効性について言及できる質の医学研究は見つからなかった。 歴史 [ ] 中世ヨーロッパにおけるペストの伝播(第二のパンデミック)。 では被害が発生しなかった。 ペストはこれまでに3度にわたる世界的流行をみている。 第1次は、6世紀の「」に始まって8世紀末までつづいたもの。 第2次は、14世紀に猖獗をきわめた「黒死病」から17世紀末にかけてのもので、では19世紀半ばまでつづいた。 第3次は、19世紀末から21世紀中盤までつづくものである。 とりわけ第二のパンデミックでは、世界規模でペストが大流行し、およそ8000万人から1億人ほどが死亡したと推計されている。 では、からにかけて断続的に流行し。 イングランドやイタリアでは人口の8割が死亡し、全滅した街や村もあった。 ペストによってもたらされた人口減は、それまでの社会構造の変化を強いられる大きな打撃を与えた。 主な大流行(リスト) 年代 場所 推定死者数 備考 1347—51 欧州・アジア・中東 2500万~7500万 1360—63 イギリス 700,000~800,000 1464—66 パリ 40,000 1471 イギリス 300,000~400,000 1479—80 イギリス 400,000~500,000 1576—77 ヴェネツィア 50,000 1596—99 スペイン・カスティリア地方 500,000 1603—11 ロンドン 43,000 1620—21 アルジェリア 30,000~50,000 1628—31 フランス 1,000,000 1629—31 イタリア 280,000 1647—52 スペイン南部 500,000 1654—55 ロシア 700,000 1656—57 ナポリ・ローマ 150,000 1665—66 ロンドン 70,000~100,000 1675—76 マルタ 11,300 1679—80 オーストリア 76,000 1681 プラハ 83,000 1689—90 バグダッド 150,000 1704—10 ポーランド 75,000 1709—13 バルト海沿岸 300,000~400,000 1720年代 マルセイユ 100,000 1738—40 ハンガリーなど 50,000 1770年代 モスクワ 75,000 1772 バグダッド 70,000 1791 エジプト 300,000 1813—14 マルタ 4,500 1829—35 バグダッド 12,000 1990年代 [ ] CDCによる汚染地域を示す地図 1998 の報告によれば、1991年以降ヒトペストは増加し 1996年の患者3017人(うち死亡205人)、1997年には患者5419人(うち死亡274人)であった。 ただし、WHOに報告された人のペスト患者数は、概して、実際の患者数よりも少なく、実態はさらに深刻であった。 汚染地域とされるのは、• の山岳地帯および密林地帯• の周辺ならびに熱帯森林地帯• 、の亜熱帯草原地域• から北西部• 北西部の周辺ならびに密林地帯 などである。 1992-1995年にペルーで流行があった。 2000年代 [ ] WHOによれば 2004-2015年の感染者は56,734名で、死亡者数は4,651名(死亡率 8. マダガスカルでは2017年にも流行し、患者2,348名、死亡202例であった。 2000年代ではアジアでも流行し、ベトナム(3,425名),インド(900名),ミャンマー(774名),中国(584名)が報告されている。 2011-2015年では中国5名、モンゴル5名、キルギスタン1名、ロシア1名。 全世界での平均発生数は、依然として発生する地域的なによる増減は見られるものの、1998年以降、大きな変化はない。 日本におけるペスト発生 [ ] 日本においてペストは、以前の発生は確認されていない。 最初の報告は、1896年(29年)にに入港した船客で、同地の中国人病院で死亡した。 大小の流行は複数回あり 、1899年(明治33年)11月が最初の流行で、からへ帰国した会社員がで発病し死亡、その後半月の間に内、内、で発病、死者が発生した。 1899年は45人のペスト患者が発生、40人が死亡した。 翌年よりは予防のため、ネズミを1匹あたり5銭で買い上げた。 この時のネズミの霊を供養するための鼠塚が、渋谷区の境内にある。 1901年(明治34年)5月29日、はペスト予防のため、屋内を除き跣足(裸足)での歩行を禁止した(庁令第41号)。 最大の流行は1905-1910年ので、958名の患者が発生し、社会的に大きな影響を与えた。 この際、紡績工場での患者発生が続いたことから、ペスト流行地のインドから輸入された綿花に混入したネズミが感染源というのが通説になった。 1899年から1926年までの日本の感染例は2,905名で、死亡例2,420名が報告された。 (昭和2年)以降は国内感染例はない。 文芸作品 [ ]• 『』(1349-51年) - 1348年のペストを題材とする• - 14世紀頃のペスト流行をきっかけとして成立• 『』- 14世紀のイスラーム世界におけるペスト被害の記述がある• イブン・バットゥータ 『大旅行記』 ()編、訳注、〈〉(全8巻)、1996年-2002年。 『』(1595年頃) - 作中でペストが重要な役割を持つ• 『 ()』(1722年) - 1665年から翌66年にかけてのロンドンでのペスト大感染() を題材とする 主な日本語訳• デフォー 『ペスト』 訳、〈〉、1973年、改版2009年7月。。 デフォー 『ロンドン・ペストの恐怖』 訳・解説、〈地球人ライブラリー 004〉、1994年7月• デフォー 『ペストの記憶』 訳・解説、〈英国十八世紀文学叢書3〉、2017年9月。。 『』(1827年) - 1629年から1631年にかけてのミラノを襲ったペスト の記述 主な日本語訳• 『いいなづけー17世紀ミラーノの物語』 訳、〈〉全3巻、2006年• 『御影石』 原題:Granit, 1853年 - 老人が語り手である孫の少年に、かつてその地方を襲ったペストの記憶を物語る。 『みかげ石 他二篇』(・藤村宏訳、、改版1988年)• 『』(1947年) - でペストが大流行する設定の小説• 『』(1976年)、『滅びの宴』(1980年) - 日本でペスト菌を持つ鼠が大発生する設定の小説• 『』訳・(2003年) - 21世紀の歴史研究家がにするSF小説• 『』 2013年• 朱戸アオ 『リウーを待ちながら』 , , 2017-2018年 - 日本でペストのが起こるという設定の漫画 関連法規 [ ]• ではやなどと共にに指定されている。 に基づくである。 ではは特定二種病原体(国民の生命及び健康に「重大な」影響を与えるおそれがある病原体)に指定されており、所持、輸入、譲渡し及び譲受けには厚生労働大臣の許可が必要となる。 運搬には都道府県公安委員会への届出が必要である。 所持者には帳簿を備える記帳義務が課せられる。 米国ではとして利用される可能性が高い病原体として、を最も危険度、優先度の高いカテゴリーAに分類している。 なお、カテゴリーAにはペスト菌の他、、、、、などのウイルスも指定されている。 脚注 [ ] 注釈 [ ] []• World Health Organization 2017年10月. 2017年11月8日閲覧。 CDC 2015年9月. 2017年11月8日閲覧。 漢字一文字では「癙」(に鼠)と書いておいて「ペスト」と読むこともある。 CDC 2015年9月. 2017年11月8日閲覧。 の推計• 2020年1月22日閲覧。 ペストに感染したネズミについた(特に ())がその血を吸う。 Jefferson, Tom, ed 2000. Cochrane Database Syst Rev 2 : CD000976. WHOの報告によれば、2004年から2009年までの間の世界全体の患者数は1万2503人。 うち、死亡者はアフリカ、、アメリカの16ヶ国から843人。 調査の期間、毎年ペスト患者が報告されていた国は、、、、の4か国。 CDC Travelers' Health, Outbreak Notice(2010年2月18日)2017年3月4日• 瀬上清貴、 国立保健医療科学院• 、「」『細菌學雜誌』 1896年 1895and1896巻 5号 p. 319-322, :• 1901年 5月31日。 『新聞集成明治編年史. 第十一卷』、国立国会図書館近代デジタルライブラリー、2014年7月3日閲覧。 坂口誠、「」『三田学会雑誌』 2005年 97巻 4号 p. 561-581, , 慶應義塾経済学会 参考文献 [ ]• 『病が語る日本史』〈 1886〉、2008年8月。 国立感染症研究所感染症情報センター「感染症発生動向調査週報」(2001年第51週掲載)• 石坂尚武編 『イタリアの黒死病関係史料集』刀水書房 2017年12月。 ジョン・ケリー『黒死病 ペストの中世史』訳、、2008年11月。 関連資料 [ ]• 加藤茂孝 「 」、『モダンメディア』 独立行政法人理化学研究所感染症研究ネットワーク支援センター、2010年、第56巻第2号• 濱田篤郎 「」、『ニュースレター』 一般財団法人海外法人医療基金、2003年2月、第109号 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 - ペスト菌発見者のひとり• - 中世ヨーロッパでペスト罹患者を専門に扱った医師• - 中世ヨーロッパではペスト流行を魔女の仕業とし、疑わしい女性を魔女として迫害する例があった• - 中世ヨーロッパではペスト感染を防ぐためにビアマグに蓋を付けた• - 軍医が兵舎に『ペスト患者収容所』と書き記し、上陸したアメリカ軍が通訳を呼んで翻訳させた際にその意味を知って大混乱となった。 (曖昧さ回避)• - この伝承にペストが関係しているという説がある• () - ヨーロッパでのペストの流行の時に話題になった泥棒と飲み物の話 外部リンク [ ]• - アメリカ疾病予防管理センター CDC• - FORTH(厚生労働省検疫所)• - 「メルクマニュアル医学百科家庭版」オンライン版• - 国立感染症研究所.

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『デカメロン』、あるいは感染症によって引きこもった人々の物語(2020)|Saven Satow|note

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中国・武漢から始まった新型コロナウイルスのパニックが止まらまい。 2月20日の朝の時点で感染者数は約7万5000人、死者は2000人を超えた。 そのほとんどは中国だけど。 このまえドイツ人とスカイプで話したときに現地の様子を聞いたところ、その人が住んでいるところは世界的に有名なノイシュヴァンシュタイン城(上の写真)のすぐ近くで、そこでは中国人観光客が減ったぐらいで特に変化はない。 でも、死者を出したフランスではパリの日本料理店(オーナーは中国人)に「コロナウイルス、出て行け」という差別的な落書きがされるなど、ヨーロッパ全体では東洋人に対する視線は冷たくなっている。 ただ今回の内容はこれじゃない。 中世ヨーロッパ人にこの世の終わりを実感させた恐怖、ペスト(黒死病)について書いていこうと思う。 前代未聞のパニックにおちいった人々はどう行動して、ローマ・カトリック教会はどうなったか? *当時のヨーロッパ人が「黒死」と呼んだ意味を知ってもらうために、ペスト感染者の写真を載せたからお覚悟を。 これがいま世界を混乱させている新型のコロナウイルス くわしいことはをクリック。 14~15世紀のヨーロッパで猛威をふるったペスト(黒死病)について、高校世界史ではこう習う。 黒死病 14世紀後半以降、数度にわたりヨーロッパをおそった疫病。 1348年からの大流行は人口の3分の1を失わせ、農業人口の激減による社会・経済をまねき、人々の死生観にも大きな影響を与えた。 ちなみに、戦闘機・戦車・機関銃・原子爆弾などが使われた太平洋戦争での日本人の死者の割合は約4%ということから、この数字がどれほど圧倒的で絶望的かわかるだろう。 このペストは中国で流行がはじまって、この菌を持つノミが付いた毛皮がイタリアに上陸したことから、全ヨーロッパに恐怖が広がったいう。 これが「黒死病」と呼ばれた理由は、このように皮膚が黒色になって死にいたる人が多かったから。 中世ヨーロッパのまさに闇歴史。 現代ならこれはペスト菌が原因とわかるけど、14世紀のヨーロッパ人には人知を超えた厄災だ。 「正しく怖れる」なんて洗練された行動ができるはずもなく、人々は見えない恐怖(ウイルス)に大混乱となりキリスト教徒(カトリック)はこ大流行の原因を「神の怒り」や「神が下した罰」ととらえる者が多くいた。 それで自分の身体にムチを打つ者がいたと思えば、毒蛇の肉を薬として患者にわたす医者もいた。 最大の罪は無知だった。 ボッカッチョが14世紀に書いた『デカメロン』でもペストについて触れている。 さて神の子の降誕から、歳月が、1348年目に達したころ、イタリアのすべての都市の中ですぐれて最も美しい有名なフィレンツェの町に、恐ろしい悪疫が流行しました。 ことの起こりは、数年前東方諸国に始まって無数の生霊を滅ぼしたのち、休止することなく次から次へと蔓延して、禍災(わざわい)なことには西方の国へも伝染して来たものでございました。 いまの日本でも新型コロナウイルスの水際対策が失敗し、感染者が広がったことで政府は権威(支持率)を失った。 ただヨーロッパの場合、その結果(十字軍の失敗もある)、人々がローマ・カトリックに疑問を感じてキリスト教に縛られない、キリスト教の前にあったギリシアやローマの文化を参考に自由な表現をするようになった。 それが。 さらにカトリック教会の権威失墜は16世紀の宗教改革を呼び、プロテスタントを生み出すことにもつながった。 このへんのことはNHK高校講座の「」にくわしい説明がある。 新型肺炎が去ったあとの日本では、こんな素敵な出来事はきっと何もない。 オリンピックが不安でしょうがなです。 このとき生まれた「quarantine」(検疫)という言葉や上の「死の舞踏」についてはこの記事をどうぞ。

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人類史上最悪の感染症「ペスト」の流行、パンデミックの解説と影響

デカメロン ペスト

1346~1352年 ヨーロッパの黒死病の大流行 『地域からの世界史13 西ヨーロッパ上』朝日新聞社 p. 125 をもとに作図 1346年から47年にかけて、コンスタンティノープルから地中海各地に広がった疫病の流行は、マルセイユ、ヴェネツィアに上陸、にはアヴィニヨン、4月にはフィレンツェ、11月にロンドンへと西ヨーロッパ各地に広がり、翌年には北欧からポーランドに、1351年にはロシアに達した。 発病すると高熱を出し、最後は体中に黒い斑点が出来て死んでいくので「黒死病(black death)」と言われた。 恐ろしい伝染力を持つこの疫病は、現在ではペストと考えられている。 ペストの大流行の発生源は解っていないが、ペスト菌を媒介するノミがクマネズミから人間に移り、伝染させる。 クマネズミはもともとヨーロッパにいなかったものが、十字軍の船にまぎれ込んで西アジアからヨーロッパに移り住んできたのだという。 14世紀、1348年のヨーロッパで起こった大流行は、現在では中央アジアに始まり、黒海北岸からジェノヴァ商人によってシチリア島に持ち込まれ、そこからヨーロッパ各地に広がったとされている。 黒死病の感染ルート 13世紀にヨーロッパで流行した黒死病(ペスト)の感染ルートには諸説あるが、有力な者に次のようなコースがあげられている。 の商船は東地中海から黒海まで活動の範囲を拡げていった。 1347年に黒海の奧のまで行って取り引きをしたが、その際、この病気にかかった。 黒海北岸へは、カスピ海北岸からの交易ルートで伝わり、さらに遡ると中央アジアのいずれかに行き着く。 このジェノヴァの商船は帰り道、に寄港し、そこで上陸した乗組員から島中に広がった。 地中海の真ん中にあるシチリア島には当時、各地からの商船が集まっていたので、そこから地中海の港に広がった。 まず海港都市ジェノヴァやマルセイユで広がり、翌1348年1月には南フランスのアヴィニヨン、イタリア本土の各都市に広がり、西ヨーロッパ全域に及んで大恐慌をまきおこした。 北欧の一部、デンマークの島嶼部やノルウェーには、海路で早く伝染し、ドイツの内陸より早く広がっていることが注目できる。 さらに1352年までにロシアも含む東ヨーロッパにも広がった。 <村上陽一郎『ペスト大流行』1983 岩波新書/佐藤彰一・松村赳『地域からの世界史13・西ヨーロッパ上』1992 朝日新聞社 p. 125による。 当サイトで色分けしてわかりやすくした)。 これを見ると、東方から黒海北岸のクリミア半島に伝播したペストが、商船によって地中海の島々を経て、まずジェノヴァやマルセイユに到達したこと、さらに陸上ルートより、海上交通によって北ヨーロッパに広がったことがよく判る。 資料 ボッカチォの『デカメロン』 引用 さて、神の子の降誕から歳月が千三百四十八年目に達したころ、イタリアのすべての都市の中ですぐれて最も美しい有名なフィレンツェの町に恐ろしい悪疫が流行しました。 それは天体の影響に因るものか、或いは私どもの悪行のために神の正しい怒りが人間の上に罰として下されたものか、いずれにせよ、事の起こりは数年前東方諸国に始まって、無数の聖霊を滅ぼした後、休止することなく、次から次へと蔓延して、禍いなことには、西方の国へも伝染してきたものでございました。 それに対しては、あらゆる人間の知恵や見通しも役立たず、そのために指命された役人たちが町から多くの汚物を掃除したり、すべての病人の町に入るのを禁止したり、保健のため各種の予防法が講じられたりいたしましても、或いは、信心ぶかい人たちが恭々しく幾度も神に祈りを捧げても、行列を作ったり何かして、いろいろ手段が尽くされても、少しも役に立たず、上述の春も初めごろになりますと、この疫病は不思議な徴候で恐ろしく猖獗になってきました。 <ボッカチオ『デカメロン』野上素一訳 岩波文庫 第1冊 p. 55-56> 『』はが1348~53年の間に書いた物語集で、『十日物語』とも言われる。 ペストの流行から逃れてある邸宅にひきこもったの10人の男女が10日間にわたり、1夜にそれぞれが1話ずつ退屈しのぎの話をする形式をとっている。 黒死病の死者数 大流行は1370年ごろまで続いたが、ヨーロッパ全体での犠牲者は、総人口の3分の1とか4分の1と言われているが、正確な数字は不明である。 ある説によると、当時のヨーロッパの総人口約1億として、死者は2500万程度と推定されている。 このペストについては、当時の人々は流行の原因がわからず、一部ではが井戸に毒をまいたからだ、などという噂からユダヤ人に対する虐殺が起こったりした。 <この項、村上陽一郎『ペスト大流行』岩波新書 による> ユダヤ人迫害 ユダヤ人の焚刑 『ペスト大流行』p. 142より ヨーロッパにおける迫害は早くから始まり、13世紀にもイギリスやスペインで大規模な追放や殺害が起こっていたが、黒死病の大流行がさらに拍車をかけた。 最初の記録は1348年のジュネーヴに見られるが、「ユダヤ人の受難は、ペストの流行の如き観を呈し」、さらに「伝染病の災禍を凌ぐ激しさ」で全ヨーロッパに広がった。 アルザスに近いベンフェルトという小さな町で1人の男が、ユダヤ人が自分の使う井戸には蓋をして、外に出ていた置き水のバケツを室内に取り込んだ」のを見たと証言し、町民会議はそのユダヤ人が井戸に毒を流したと告発された。 引用 町民は犯人と目されたユダヤ人を処刑する死刑執行者にこぞって志願した。 ユダヤ人狩りが始まり、ゲットーは焼き討ちに見舞われた。 何も知らないユダヤ人たちが刑場で、町角で、正式に、非公式に、処刑された。 処刑された死体は、次々にブドウ酒の樽に詰め込まれ、ラインの河底に沈められた。 自警団が組織され、当局は、焼き討ちにあったゲットーへの立ち入り禁止を命じた。 どちらも秩序保持のためではない。 自警団はユダヤ人のほしいままの私刑のためであり、立ち入り禁止の措置は当局者たちが、焼き打ち地区のユダヤ人の目ぼしい財産を独り占めしようとする魂胆からであった。 <村上陽一郎『ペスト大流行』1983 岩波新書 p. 147-142> ストラスブールでも全く同じ事態が起こった。 ユダヤ人で殺戮された人々の数は二千人を超えた。 そして、キリスト教とのユダヤ人に対する借財や負債はすべて棒引き、というお触れが発布された。 ユダヤ人の金貸し行為が怨恨の感情を醸成していた。 これがキリスト教徒の名において正当化され、ユダヤ人の殺害や焼き打ちに際して必ず名目的にせよ、ユダヤ教からキリスト教への改宗の強要があった。 ローマ教皇はユダヤ人の迫害を許容したわけではなく、クレメンス6世は禁令を出しているが、当時は教皇はに幽閉されている状態だったので、その威令は行き届かなかった。 黒死病の影響 ルネサンス 14世紀前半は、北イタリアにおいて、といわれる文芸や美術での動きが活発となっていた時期であった。 このときのにおける流行の様子は、のにくわしく描かれている。 またこのころ、ヨーロッパ各地の教会や墓所にはと言われる壁画が造られた。 教皇や教会も黒死病の前には無力であることが明らかになり、その権威を失っていった。 一方、農民の労賃が上がったことは農民の流動性を高め、人材の払底によって新しい人材が登用されることによって新しい価値観も生まれた。 百年戦争 当時のヨーロッパはの最中であり、英仏両国にも伝染し、戦局に大きな影響を与えた。 戦争の惨禍と黒死病の流行は社会不安を増幅し、のフランスの、のイギリスのという農民反乱の背景ともなった。 封建社会の変質 POINT 農奴制の変質 世界史上は、14世紀の黒死病の大流行が、ヨーロッパの封建社会に大きな影響を与えたことである。 10~11世紀ごろからの普及などの生産技術の発展にともない、が発展し、農奴は領主の荘園で賦役労働に従事するのではなく、一定の耕地を耕し、貨幣収入を得てで納めるようになっていた。 また余裕のある農民の中には、労賃を得てはたらくものもあらわれていた。 このようなへの貨幣経済の浸透は領主の生活を脅かしていた。 農奴の待遇改善と封建反動 そのような中で14世紀に起こった 黒死病の大流行による農奴・農民の人口の激減は、彼らの待遇を良くしなければならなくなり、また労賃も値上がりした。 そのためやがて領主は農奴にたいする強制を強めるようになった(この動きをという)。 農奴解放の動き それに対して農奴はさらに反抗してによる自由を求めるようになった(つまり社会的矛盾が深刻になった)。 この動きはとして長期的に続き、徐々に農奴から解放され、自由を獲得したて自営農民となるものも現れた。 このような動きが14~16世紀にヨーロッパ各地に広がった 封建社会の崩壊の意味であり、中世から近世・近代に歴史が動いていく背景であった。 14世紀以後のペスト ヨーロッパで黒死病と言われた疫病は間違いなくペストであるが、ペストの世界的な流行はそれ以前も以後も、幾度か繰り返されている(下の「世界史の中のペスト」参照)。 14世紀の中ごろ、イスラーム圏のエジプトを中心としたにもペストが広がり、人口が減少し、その国力が衰えるきっかけとなった。 同じく14世紀には、元朝末期の中国の浙江流域で大流行が起きている。 14世紀の大流行の後には、17世紀にヨーロッパ全域で大流行している。 特に1665年ので大流行し、『ロビンソン=クルーソー』で有名なイギリスの作家が『疫病流行記』という記録を残している。 もこのとき感染をさけて故郷に疎開し思索にとつとめたという(下掲)。 ペストの最後の大流行は19世紀末に起こった。 このときは中国から始まり、アジアで急激に広がり日本にも伝わった。 しかし、1894年、流行の中心地香港に派遣された 北里柴三郎がペスト菌を発見し、ノミがネズミから病原菌を人間に伝染させることが判明した。 この流行は1910年代に収束したが、このときの北アフリカ・アルジェリアにおける流行を題材としたのが、 アルベール=カミユの『ペスト』である。 Episode ニュートンの創造的休暇? 1665年のイギリスでのペストの大流行が、科学の歴史上きわめて重要な副産物を残したとされている。 というのは、はこのときケンブリッジのトリニティ=カレッジを卒業したが、大学がペスト流行の凄まじさのために休校を繰り返していたので、しかたなく故郷の田舎に帰り、ぼんやりと日を過ごすうちに、光の分光的性質と、重力の逆二乗法則を、そしてさらに微積分計算の基本的アイデアを発見したと言われているからである。 この「已むを得ざる」休暇とか、「創造的休暇」と呼ばれるエピソードはペストのもたらした最も大きな成果と伝え継がれてきたた。 この話はニュートン自身が後年ライプニッツと微積分法の発明の先取権を争ったときに自ら証言したことであるが、どうやらよくある英雄譚の一つであるようだ。 <村上陽一郎『ペスト大流行』岩波新書 p. 180-181> 世界史上のペスト 世界史上では、感染症ペストが14世紀のヨーロッパだけでなく、たびたび爆発的流行をみせている。 ペストは感染症としては古くから流行を繰り返していた。 55~75>などをもとにまとめると次のようになる。 中国発のペスト 2010年10月に発表された国際研究チームによる論文によると、世界各地から収集した17株のペスト菌の遺伝子配列から、共通祖先が中国にあって、そのペスト菌が「(シルクロード)」を通してユーラシア大陸西側にも達した可能性が高いという。 さらに明代(1368~1644)のの大航海(1371~1434)もペスト拡散に寄与した可能性があることを報告している。 ユーラシア大陸と大洋を横断する交易路の発達による相互の交流の質的、量的変化によって、もともと中国の原始疾病であったペストが拡散したと考えられる。 (2020年の新型コロナウィルスの拡張も同様だと言うことか) 「ユスティニアヌスのペスト」 絹の道をつうじて西に広がったペストはまず、542~750年に東ローマ帝国の都を繰り返し襲い、帝のローマ帝国復興の夢を挫折させた。 特に542年の流行は「ユスティニアヌスのペスト」と呼ばれ、最盛期にはコンスタンティノープルだけで一日1万人が死亡したという。 地中海世界の人口は紀元初期に3300万だったのが、600年の間におよそ1500万減少し1800万になったが、繰り返し襲ったペストがその原因の一つだったことは間違いない。 隋のペスト 中国では、の末期の610年にペストが流行したことが記録されており、618年に滅亡、その後半世紀の間に少なくとも7回流行し、東ローマ帝国の衰退と同じ時期に東西同時に流行が起こっている。 一時姿を消したペスト ところが、750年ごろを境に、地中海世界では突然、ペストは姿を消す。 これは中世の温暖期(800~1300年)という気候変動と関係があるらしい。 その次の小氷期と言われる寒冷期に、ヨーロッパでは再びペストが流行する。 それはペスト菌の宿主であるクマネズミ(その血を吸った蚤が人を吸血すると感染が成立する)が本来草原に住んでいたのが気候変動によって生息域を変化させたことと関係があるという学説(異論もある)がある。 交通の発達と人口の増加 恐らく疫学的なバランスが成立して流行は収まったが、11~14世紀に再び混乱する。 その要因は、ユーラシアの東西で人口が急増、中国では1200年ごろに1億を超え、ヨーロッパでは1500万も減少した人口がその後の7百年で7000万と4倍近く増加したことと、大陸を結ぶ交通網がキリスト紀元ごろと異なる規模で発達、モンゴル帝国の成立でユーラシアを横断する隊商交通網が成立し中国全土、ロシア、中央アジア、イラン、イラクを含む版図が交通もで結ばれるようになったこと、の二点が考えられる。 引用 交通の発達と人口の増加は、いつの時代においても疫学的平衡に対する最大の撹乱要因である。 15世紀に始まった大航海も、20世紀の航空時代の幕開けも、同じように疫学的撹乱をもたらした。 63> 14世紀のペスト(黒死病) 引用 中世におけるペストの流行の起源についてはいくつかの説があるが、最初の発生が中央アジアであったという点では一致している。 そこから中国に向かい、1334年、中国の浙江流域で大流行が起きている。 さらに天山山脈の南北を経由してクリミア半島に至り、海路ヨーロッパへ運ばれた。 ヨーロッパへ運ばれたペストは、その後半世紀にわたって人々を恐怖の底に叩き込んだ。 この流行によって亡くなった人の数は2500万とも30000万人ともいわれる。 ヨーロッパ全人口の3分の一から4分の1にも達した。 64> 「ペスト後」のヨーロッパは、恐怖の後、気候の温暖化もあって、ある意味では静謐で平和な時間にルネサンスの盛期を迎える。 同時にヨーロッパ社会は、まったく異なった社会へと変貌し、強力な(近代)国家の形成を促し、中世は終焉を迎える。 ペストの流行を境にヨーロッパの疾病構造も変わった。 最も目立つのはハンセン病の減少と、結核の増加である。 ヨーロッパの都市化が結核を増加させ、結核によってハンセン病患者が死んだので少なくなったと考える研究者もいる。 17世紀のロンドンのペスト 1665~66年にかけてイギリスで流行が起こり、では約10万人の死者が出た。 (ニュートンの「創造的休暇」とも「已むを得ざる休暇」とも呼ばれたのはこのとき。 )これはイギリスでの最後のペストの流行となった。 三十年戦争とペスト は南ドイツにペストをもたらした。 ペストが大きな犠牲をもたらしたあとの1633年、バイエルンの小さな田舎町オーバーアマガウでは、これ以上の犠牲者を出さないように主イエスキリストの受難と復活の物語を10年に一度、ペストで亡くなった人々の眠る墓の上に作られた舞台で演じるようにした。 それ以来この村ではペストで死亡した住民はいない。 1720~22年にかけてマルセイユで起きた流行を最後に西ヨーロッパではペストの爆発的流行は終わりを告げた。 都市の整備が進んだこと、クマネズミがペストに対する抵抗力を獲得したこと、気候変動、検疫などが理由としてあげられるが、真の原因は今にいたるまで謎のままである。 近代アジアのペスト 西ヨーロッパ以外ではペストの流行は続いた。 1894年に中国の広東、香港に始まり、日本では1899年、台湾から神戸に来港した船舶によってもたらされた。 さらに航路で北米にもたらされた。 その後、日本では1900年、1905~10年と大きな流行が見られたが、1929(昭和4)年を最後にしてペスト発生はない。 明治時代半ばに神戸や横浜に海港検疫所が開設された。 検疫は数度にわたりペストの上陸を未然に防いでおり、そこで活躍したのが若き日の野口英世だった。 アメリカでは1906年、大地震後のサンフランシスコ、1924年のロサンゼルスで再びペストが大流行した。 これは北米における政策と植民地主義のもとで展開された、太平洋航路という新たな交通路の整備が背景にあった。 75> 参考 感染症と文明 ヨーロッパで黒死病が大流行した14世紀は、大航海時代の前ではあるが、地中海でのイタリア商人による活発な商業活動、さらに東方の商品が海上交通で北ヨーロッパに運ばれ、ユーラシア大陸ではモンゴル帝国の成立、十字軍の派遣などで遠隔地を結ぶ交流がすでに行われていた。 このような人類の商業活動・交通の発達を「文明」というならば、まさに文明が感染症を世界的流行をもたらしたと言うことができる。 これから約150年後、コロンブスに始まる大航海時代には、旧大陸から天然痘やインフルエンザが新大陸に持ち込まれインディオの激減の要因となった。 また新大陸から旧大陸に梅毒がもたらされ(これについては否定的見解もある)、いわゆる疫病交換がおこったともいわれている。 第一次世界大戦末期にはスペイン風邪の大流行があった。 2020年の新型コロナウィルスが航空機(あるいはクルーズ船)で世界に拡散、しかも黒死病の頃と比較できない早さでパンデミックとなったこと、黒死病の時と同じようにみんなが門を閉ざして家に閉じこもった体験は、まさに私たちも世界史の中にいる実感となったのではないでしょうか。 歴史に学ぶことによってコロナ禍をどう受け止めるか、ヒントになるだろう。 印 刷 印刷画面へ 書籍案内 村上陽一郎 『ペスト大流行』 1983 岩波新書 コロナ禍から37年前の本だが、ペストを単に病気として捉えるのでなく、世界史上の出来事として社会、宗教の側面からも活写した名著。 今でも光を失っていない。 黒死病の節も要を得ている。 コロナについては触れていないが、感染症と共生をするという意味が理解できる。 ボッカッチョ/河島英昭訳 『デカメロン』上 1999 講談社文芸文庫 文庫本には岩波(野上素一訳)の他に、手にしやすいものとして、この講談社文芸文庫版(河島英昭訳)、ちくま文庫版(柏熊達生訳)、河出文庫版(平川祐弘訳)がある。 岡田晴恵 『感染症が世界史を動かす』 2006 ちくま新書 時の人、岡田晴恵教授が2006年に新型インフルエンザの大流行を予言し、世界史上の黒死病、梅毒、スペイン風邪などの歴史をわかりやすく解説。 新型コロナ発生以前に読むべきであった。 マクニール/佐々木昭夫 『疾病と世界史』上下 2007 中公文庫 原書は1976年発表。 定評ある疾病史。 ペストについてだけ見るなら下巻。 アルベール=カミユ /宮崎嶺雄訳 『ペスト』 1969 中公文庫 佐藤彰一・松村赳 『西ヨーロッパ 上』 地域からの世界史13 1992 朝日新聞社.

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