トーマス ハーンズ。 ハーンズさん判定を盗まれる…シュガー・レイ・レナードvs.トーマス・ハーンズ2

シュガー・レイ・レナード

トーマス ハーンズ

第一回となる今回は『トーマスハーンズ【ヒットマン】スタイルの技術と構造』と題して、ハーンズの技術・戦術分析を行ないたいと思います。 また、ハーンズのフリッカージャブと右クロスという定番のコンビネーションブローと同様の効果を得ることができる、クロスラインコンビネーションについて、フリオセサールチャベスやヘナロエルナンデスなどメキシカンの例を用いて説明したいと思います。 主に80年代に活躍したボクサーなので、ファンやボクサーでも比較的最近ボクシングを見るようになった方は知らない方も多いでしょう。 最初にタイトルをとったのは65キロ程度のウェルター級でありながら、185センチの長身と2メートルの長いリーチを誇ります。 彼は出身地のアメリカ、ミシガン州デトロイトにちなみ、モーターシティーコブラとも呼ばれたそうです。 長身痩躯にギラリと光る鋭い目付きで獲物を見据え、ダラリと下げた左手から繰り出されるフリッカージャブを放ちながら距離をコントロールし、タイミングを見つけると間髪いれず打ち下ろすような鋭い右を放ちます。 このパンチをまともに食らえば、相手は倒れ込んでピクリともしません。 まさに猛毒の牙を持つコブラさながらです。 知らない方には、漫画「はじめの一歩」の間柴了のモデルになったボクサーと言った方が良いかもしれません。 また「はじめの一歩」だけではなく、僕の知る限りほぼあらゆるボクシング漫画で登場人物のモデルになっています。 ハーンズがボクシングファンに如何に強烈な印象を残したのかが分かりますね。 今回は、主にハーンズのフリッカージャブとオーバーハンドライトと呼ばれるフック気味に打ちおろす右ストレートについて、それらが相手の視野の外、或いは正確な認識が難しい視野の限界ギリギリを狙って打ち込まれていた事を解説します。 今回注目するのは以下の3点です。 ハーンズのスタイルが体格に依存したものであることは一目瞭然ですが、ハーンズのような体格ではなくとも同様の効果を得ることは可能であることを解説します。 以降有料です。 興味のある方は是非ご一読を。

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シュガー・レイ・レナード

トーマス ハーンズ

シュガー・レイ・レナード 基本情報 本名 レイ・チャールズ・レナード 通称 シュガー、スーパーエキスプレス 階級 - 身長 178cm リーチ 188cm 国籍 誕生日 1956-05-17 (64歳) 出身地 ウイミルトン スタイル プロボクシング戦績 総試合数 40 勝ち 36 KO勝ち 26 敗け 3 引き分け 1 獲得メダル 男子 金 シュガー・レイ・レナード( Sugar Ray Leonard、 - )は、の。 ウイミルトン生まれ。 本名は レイ・チャールズ・レナード。 母親がのファンだったため命名したもの。 のちにボクサーとして活動する際、尊敬するにあやかって、シュガー・レイを名乗った。 「 が動くが如く、ボクシングは動く」とされたボクシング界の常識を覆して、、、らと歴史的なビッグファイトを繰り広げ「 黄金の(中量級)」時代を盛り上げた。 来歴 [ ] でアンドレス・アルダマ()を3R判定で下し、の金メダルを獲得。 一時は引退も考えたが、にプロデビュー。 11月30日、無敗のままから15RTKOで世界タイトルを獲得。 6月20日、に判定負けで王座から陥落するとともに、プロ初黒星を喫した。 1980年11月25日、ロベルト・デュランと再戦し、9回TKO勝ちで王座を奪回。 6月25日、から世界タイトルを獲得し2階級制覇を達成するが、タイトル返上。 9月16日、後にレナードと共に5階級制覇を遂げるWBA王者とのウェルター級王座統一戦で、序盤はハーンズにペースを握られるが14回に逆転TKO勝ち。 WBAとWBCの王座を統一する。 試合後にが発覚。 11月、引退を発表。 3月10日、対の解説をしていたレナードは当時最強のチャンピオンといわれたハグラーに勝てると確信し、現役復帰を決意する。 4月6日、ハグラーに挑戦し僅差の判定勝ちでWBC世界タイトルを獲得。 3階級制覇を達成する。 ハグラー戦に向けてのトレーニング中クインシーテーラーにスパーリングで倒されてハグラーにパワーで対抗する作戦方針を改めてアウトボクシングに戦術を切り替えた 結局これが功を奏した形となった 11月7日、WBC世界ライトヘビー級王者と168ポンドので対戦、9回TKO勝ちで新設されたWBC世界、の2階級の王座を同時に獲得。 同月4日に達成したハーンズに続く2人目の主要団体での5階級制覇を達成した。 しかし、これはライトヘビー級王者のラロンデをスーパーミドル級まで体重を落とさせてのスーパーミドル級王座決定戦に、ラロンデの持つライトヘビー級王座も賭けられるという、極めて異例の試合だったため、レナードの5階級制覇には懐疑的な意見もある。 6月12日、WBO世界スーパーミドル級王者トーマス・ハーンズとの王座統一戦で引き分け。 1989年12月7日、ロベルト・デュランに判定勝ちし、WBC世界スーパーミドル級王座を防衛。 2月9日、WBC世界タイトル戦で王者に12回判定負けを喫した。 試合後のリング上で引退を表明した。 3月1日、世界ミドル級タイトル戦で6年ぶりに現役復帰。 に5回TKO負けを喫し、引退した。 引退後 [ ] 1990年、離婚訴訟中だった元妻がレナードが酔っ払うと暴力を振るわれていたこと、レナードがコカインを使用していたことを告発。 レナードは会見を開き元妻の告発が事実であることを認め、引退をした1982年から1986年までコカインを使用していたと告白した。 2001年、ボクシングプロモーション「シュガー・レイ・レナード・ボクシング社」の設立と、と提携し毎月1回で試合を放送することを発表。 しかし2004年、と経営方針の違いから仲違いをしてプロモーション会社を解散した。 2011年、出版した自伝「The Big Fight: My Life in and out of the Ring」の中でレナードが10代の頃、オリンピックのボクシングトレーナーから性的虐待 オーラルセックス をされていたことを告白した。 エピソード [ ]• ウェルター級歴代最速とも言われるスピードで、と称された。 特にパンチの回転力がケタ外れに速く、ここぞという時のレナードの連打は、カメラが捉えきらないほどのスピードを見せた。 アリの後継者と称されるだけあり、デビュー戦から全米ネットワークでTV中継がされるなど、早くからスターとして注目され、爆発的人気を誇った。 その明朗快活なイメージから少年少女にもファンが多く、デビュー当時、WBCウェルター級王者だったの幼い息子も、レナードの大ファンだった。 パロミノの友人が「坊やのパパは147ポンド級で、世界で一番強いんだよ」と言ったところ「パパがレナードより強いって?そんなの嘘だい」という返事があったという。 ハーンズとの第1戦は、特に評価が高く、「20世紀最後のビッグファイト」と称され、2009年1月号「500号記念特集」において、歴代ベストバウトに挙げている。 ハーンズとはレナード13戦目、ハーンズ12戦目の若手時代に一度対戦が内定したことがある。 しかしアンジェロ・ダンディの反対によりこのマッチメイクは成立しなかった。 代わりにレナードが対戦したのが、である。 ハグラーとの対戦での判定は、未だに論議を呼んでいる。 試合後のダメージが、レナードの方がより大きかったためだが、特にブランクの影響で、中盤でのスタミナ切れが苦戦の要因と見られていた。 その後、デュランとの第3戦に勝利したレナードが、次の対戦相手として、に再戦を申し入れたが、ハグラーは拒否した。 サックス奏者との友人ぶりが見られる。 初期のころの試合は民生録画の珍しい時代だったため流通してる試合はタイムスタンプのある試合が結構ある• レナードが特に手ごわかった相手の一人に挙げているマルコスヘラルド戦の映像はきれいな映像は極めてまれである• アマ時代 1973-05-12 Randy Shieldsに負けているがこのナショナルAAUトーナメントはセミファイナルのハグラーメルビンハケット戦が残っているので発掘家たちが探している 獲得タイトル [ ]• 金メダル• 世界王座• 世界ウェルター級王座• WBA世界王座• WBC世界王座• WBC世界王座• WBC世界王座 出演映画 [ ]• The Fighter 2010 脚注 [ ]• News. google. com 1991年3月31日. 2013年6月4日閲覧。 USA TODAY. com 2004年10月19日. 2013年6月4日閲覧。 The Independent 2011年5月19日. 2013年6月4日閲覧。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• SUGARRAYLEONARD -• - (英語) 前王者 世界王者 1979年11月30日 - 1980年6月20日 次王者 前王者 世界王者 1980年11月25日 - 1982年(返上) 空位 次タイトル獲得者 前王者 世界王者 1981年6月25日 - 1981年(返上) 空位 次タイトル獲得者 前王者 世界王者 1981年9月16日 - 1982年11月9日(返上) 空位 次タイトル獲得者 前王者 世界王者 1987年4月6日 - 1987年(返上) 空位 次タイトル獲得者 前王者 世界王者 1988年11月7日 - 1989年1月10日(返上) 空位 次タイトル獲得者 前王者 世界王者 1988年11月7日 - 1990年(返上) 空位 次タイトル獲得者.

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石の拳ロベルト・デュランの半生を描く『ハンズ・オブ・ストーン』

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トーマス・ハーンズ 基本情報 通称 トミー マシンガン ヒットマン モーターシティ・コブラ 階級 〜 身長 185cm リーチ 203cm 国籍 誕生日 1958-10-18 (61歳) 出身地 スタイル プロボクシング戦績 総試合数 67 勝ち 61 KO勝ち 48 敗け 5 引き分け 1 テンプレートを表示 トーマス・ハーンズ( Thomas Hearns、 - )は、の。 初期のは マシンガン・トミー( Machine-gun Tommy)、後に ヒットマン( The Hit Man)、あるいは モーターシティ・コブラ( The Motor City Cobra)。 史上初の4階級制覇、さらには史上初の5階級制覇をも成し遂げた。 人物 [編集 ] 身長185cm、リーチ203cmという中量級選手としては非常に恵まれた体格を生かし、左腕をだらりと下げたデトロイトスタイル(ヒットマンスタイルとも呼ばれる)から放つフリッカージャブ と正確な強打、マシンガンのように繰り出すラッシュで1980年代のボクシング・シーンを席巻した。 、、らと共に「黄金の中量級」と称された時代を盛り上げた選手の一人。 息子のロナルド・ハーンズ(Ronald Hearns、1978年12月27日 - )もプロボクサーになっており、2005年と2006年には親子で同じ興行に出場した。 来歴 [編集 ] 子供の頃はいわゆる「 もやしっ子」。 アメリカのテネシー州メンフィスで生まれ、5歳の時にに移住。 母親ロイスとの母子家庭で育つ。 8人兄弟の長男。 母親はハーンズがボクシングをすることに反対していた。 アマチュア時代は155勝8敗の好成績だがKOはわずかに12。 ワンツー主体の非力なだった。 しかし、にキング・ソロモンジムを離れ、クロンク・レクリエーション・センターでトレーナーを開始したばかりのと出会い、才能を開花させる。 だが最初はスチュワード曰くクロンクのワーストボクサーだったとのこと。 11月のプロデビュー後は強打者に変身。 いきなり17連続KO勝ちを収めた。 その後も、といった元世界王者・世界ランカーを倒し続けた。 近年ハーンズのスタッフの撮影による7戦目のレイフィールズ戦の発掘がされている。 3月2日、を4RKOで下し全米王座を獲得した。 同年8月2日、プロ3年目で世界ウェルター級王者、()への挑戦が実現。 既に11度 10KO の防衛を果たし、最強とまで言われた王者に2R右クロスでKO勝ちし、王座を獲得した。 その後3度防衛、3度目の防衛戦はで開催されパブロ・バエスに序盤KO勝ち。 9月16日、世界ウェルター級王者、との統一戦を迎える。 拮抗した実力を持った両者の、互いの持ち味を出し尽くした熱戦となったが、14Rにレナードの集中打を浴びTKO負け。 王座から陥落した。 12月3日、でを判定で下し、WBC世界王座を獲得。 2階級制覇に成功した。 6月15日には ラスベガス恐怖の一撃と呼ばれる破壊力抜群の右ストレートでを2RKOで下すなど、4度の防衛に成功した。 4月15日には3階級制覇を賭け、統一王者に挑戦。 初回から激しい打ち合いとなったが、3RTKOで敗れた。 3月10日の再起戦で、(WBC世界ミドル級1位にランクされハグラーへのを有していた22戦全勝)ジェームス・シュラーを1RKOと健在をアピール。 北米ミドル級王座を獲得。 6月23日、WBC世界スーパーウェルター級王座4度目の防衛戦で同級初代世界王者(前王者)に8RTKO勝ちで防衛成功後に同王座を返上した。 3月7日にはを破ってWBC世界王座を獲得。 3階級制覇に成功した。 1987年10月29日、王座決定戦でファン・ドミンゴ・ロルダンを4RKOに下し、WBC世界ミドル級王座を獲得。 史上初の4階級制覇に成功した。 6月6日、に3RTKOで敗れWBC世界ミドル級王座から陥落した。 1988年11月4日、ジェームス・キンチェンを下し世界王座を獲得。 史上初の5階級制覇を達成した。 6月12日、WBC・WBO世界スーパーミドル級タイトルマッチで、宿敵と王座統一戦で再戦、二度のダウンを奪うも、最終回にレナードの猛反撃を許したのが響いて引き分ける。 しかし全体的にハーンズ優勢と見る意見が多く、屋外特設会場を埋めた観衆はレナードにブーイングを浴びせ、ハーンズの勝利を支持した。 6月3日、を12R判定で下しWBA世界王座を獲得した。 3月20日、アイラン・バークレーに12R判定で敗れWBA世界ライトヘビー級王座から陥落した。 それ以降はマイナー王座に矛先を移し、1月29日に北米王座、3月31日に世界クルーザー級王座を獲得。 4月10日、を12R判定で下し世界クルーザー級王座を獲得した。 4月8日、に2RKOを喫し、IBO世界クルーザー級王座から陥落し、同時に現役引退を表明した。 7月30日、ジョン・ロングを8RTKOで下し5年ぶりの復帰を果たした。 1月1日、家庭内暴力(13歳の息子を殴打した)の容疑で逮捕されるも罪に問われず、2月4日には復帰2戦目で10RTKO勝ち。 4月3日、約50万ドル滞納した税金を返済するためにオークションを開催、数々の記念品や1957年製のシボレーやボートなどを売却した。 その他に現在居住しているの自宅にも50万ドルの負債が残っている。 脚注 [編集 ]• 通常のジャブとは異なり、腕全体をしならせることでスナップを効かせて放ち、ジャブとは違う距離感で相手ボクサーを翻弄する。 ハーンズの場合は特に上手く、高速のフリッカージャブを変幻自在に操り、更に時折オーソドックスなジャブも織り交ぜることで間合いを支配する技に長けていた。 USA TODAY. com 2010年4月1日. 2013年6月5日閲覧。 関連項目 [編集 ]• 外部リンク [編集 ]• - (英語) 前王者 世界王者 1980年8月2日 - 1981年9月16日 次王者 前王者 世界王者 1982年12月3日 - 1986年(返上) 空位 次タイトル獲得者 デュアン・トーマス 前王者 世界王者 1987年3月7日 - 1987年(返上) 空位 次タイトル獲得者 空位 前タイトル保持者 世界王者 1987年10月29日 - 1988年6月6日 次王者 前王者 世界王者 1988年11月4日 - 1991年(返上) 空位 次タイトル獲得者 前王者 世界王者 1991年6月1日 - 1992年3月20日 次王者.

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