アイドル 少年院。 【戦慄かなの】“少年院上がり”の異色アイドルが人生を投げ出さなかった理由 20’s type

少年院を出所したばかりのアイドルが語る、絶対にマネしてはいけない「JKビジネス」の実態|テレ東プラス

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現役大学生のアイドルだ。 まだ、生まれてから19年しか経っていない彼女の人生だが、その歩みは想像を絶する。 虐待、非行、少年院を乗り越えて、アイドルになった彼女が目指すものとは? 16歳から1年8カ月を少年院で過ごした 4月某日に行われた、ある大学の入学式。 新入生のなかにひとり、2年前まで、女子少年院で机に向かっていた女性がいた。 「戦慄かなの」さん。 目がひときわ大きく、色が白い。 西洋人形のようなその外見から、「女子少年院」という言葉はイメージできないが、16歳から1年8カ月をそこで過ごした。 新入生にとって、大学の入学式は出会いの場でもある。 それぞれが新しい友だちを作ろうと言葉を交わす周囲の中で、戦慄さんは静かにその場を離れた。 キャンパスライフという言葉で表現される、明るく、健全な雰囲気に、居心地の悪さを感じていたのだ。 「友だちを作るつもりはないし、作れませんから。 大学生活を楽しみにしているわけでもないし」 そう話す戦慄さんだが、大学の合格通知を受けたときには、涙を流して喜んだ。 やりたかったことに、一歩近づいたからだ。 その目標は、戦慄さんの生い立ちに、深くかかわっている。 ひとりで娘ふたりを育て始めた母親は、やがて育児よりも自分を優先するようになった。 戦慄さんの記憶に刷り込まれている出来事がある。 待てど暮らせど、母親が帰ってこない。 1日、2日、3日、4日……。 でも、幼い妹を連れて家を出るのは怖いし、おカネもない。 誰かに助けを求めようという考えも浮かばなかった。 ただただ、空腹を紛らわせるために、水道から水を飲んでいた。 母親が帰宅したのは、1週間が経ってからだった。 母親は働いていたので、貧困状態だったわけでもない。 ただ、育児に関心を持てず、子どもを持て余していたのだろう。 戦慄さん本人も認めているが、完全なる「ネグレクト 育児放棄 」状態で、戦慄さん姉妹はお風呂に入って体を洗う、歯磨きをする、服を着替えるといった、「当たり前」に思えるような生活の行為を教わることなく、放置された。 気づかれなかったSOS 母親が家にいるときには食事を作ってくれたが、たいてい鍋料理で、具材がなくなるとその鍋に足していくので、1カ月、同じ鍋料理を食べ続けることも珍しくなった。 それでも、好きなものを作ってほしいと意見を口にすることもままならない。 気に入らないことがあると暴力を振るわれるからだ。 しかも、母親は、家の外での子どもたちの行動には厳しかった。 門限とたくさんの規則を作り、がんじがらめにした。 「小学校5、6年生のころ、これって虐待なんじゃないかと思うようになって、何回か先生に相談したんですけど、伝わらないんですよ。 お尻を叩かれることが多くて、ミミズ腫れがあっても、それを先生に見せるのは恥ずかしいし。 学校では定期的に、『虐待や悩みごとがあったら相談していいよ』みたいなホットラインの紙が配られるから、自分のお財布にストックしてたんですけど、1回も電話しなかった。 私もそうですけど、虐待されてる子は、携帯を持ってない子も多いんですよ。 公衆電話からわざわざ電話するのはハードルが高いし、お母さんのことも好きなので、それでお母さんがどうなってしまうのかみたいなのも想像すると怖いんですよ。 子どもがSOSを出すのは難しくて、誰も助けてくれなかったですね」 小学校4年生頃まで、お風呂に入らず、歯を磨かず、ボサボサの髪をして毎日同じ服を着ていた戦慄さんは、学校でいじめられた。 同級生の男女から毎日のように激しい嫌がらせを受けた。 一度、いじめられると、そこから抜け出すのは簡単ではない。 いじめは中学の3年間も続いた。 家でも、学校でも、気が休まるときはなかった。 小中学校時代をなんとか生き抜いた戦慄さんは、高校に入学し、電車通学するようになってタガが外れた。 母親の監視の目をすり抜けて、戦慄さんの生活は急速に荒れていった。 新宿には何らかの理由で道を踏み外した同世代の女の子がたくさんいた。 ひとりと知り合うと、芋づる式に交友関係が広がっていった。 その仲間たちと悪事に手を染めるようになるのに、時間はかからなかった。 「やっぱり、自由になりたかったのかなあ。 非行してる子と一緒にいるのが新鮮だったんですよね。 もともと友だちもいなかったので。 今考えたら普通の友情じゃないんですけど、すごく自分が必要とされてる感じがしたし、居心地がよかったんですよね」 戦慄さんとその仲間たちが具体的に何をしていたのか、ここには記さないが、インタビューでは一部を明かしてくれた。 「非行を突き詰めたら、自立できると思ってたんですよ。 ウチはおカネがなかったわけじゃない。 でも、私と妹は貧困、みたいな状況だったので、おカネに対する執着がすごくあって。 そのときは、おカネさえあればあんな思いしなかったのにと思っていたし、お母さんのもとから離れるには、おカネが必要じゃないですか。 だから、みんなは遊びたくて、お小遣い稼ぎたいみたいな感覚だったんですけど、私はただ稼ぎたかったんです」 家に帰っても居場所がない戦慄さんは、非行仲間たちと過ごす時間がどんどん増えていった。 何度か警察に補導されたが、歯止めにはならなかった。 気づけば、高校に入学してからの半年間で、「エスカレートしすぎて、非行を駆け巡りました」。 「先生」との出会い ゲームオーバーの瞬間は、唐突に訪れた。 事件を起こして警察に逮捕され、余罪も追及されて、女子少年院に送致されたのだ。 女子少年院にいたのは、1年8カ月。 犯罪行為に対する反省、生活態度などに問題がなければ、1年未満で退院する人もいるそうだが、戦慄さんには、早く出ようという気持ちがなかった。 「そう簡単に変わりたくないという思いがあって。 少年院の中では、不良であればあるほど、心変わりが早いっていうか、めちゃくちゃ優等生になるんですよね。 上下関係が厳しくて、ゴリゴリのヤンキーみたいな人がいちばん優等生になりやすい。 逆に、私みたいにひねくれていたり、変にお嬢様っぽかったりすると、退院が遅れがちなんです」 わかりやすく改心するのを拒否した戦慄さんだが、少年院での出会いが人生を変えた。 戦慄さんがいた女子少年院では、「先生」と呼ばれる法務教官が数人いて、それぞれが3人ほどの少女の指導に当たる。 戦慄さんの担当になった先生は、まるで母親のように優しく、厳しく、接してくれたそうだ。 もちろん、すぐになつくほど、非行少女たちは甘くない。 戦慄さんも最初は反発し、何度も問題を起こした。 それでも、先生は決して戦慄さんを見放さず、粘り強く向き合い続けた。 ただ厳しく叱るのではなく、ときには頭を撫で、温かい言葉をかけた。 「少年院に入ってから、第2の非行というか、反抗期みたいな感じて、けっこう問題を起こしていました。 でもそれは子ども返りみたいなもので、甘えの欲求だったと思います。 先生は本当に第2のお母さんみたいで、親に愛されてこなかったのが、少年院ですべて補われた感じがあるんですよね」 先生の尽力もあり、手負いの獣のように荒れ狂い、「私は変わらない」と息巻いていた戦慄さんの心は次第に静まっていった。 少年院では、退院した後に少しでも役立つようにと、WordやExcelの習得、秘書検定、レース編みなど、さまざまなプログラムが行われている。 その中で戦慄さんは、高卒認定試験の受験を選んだ。 改心して前向きになった、というわけではなく、現実逃避だった。 「少年院だと多いときには1日に3回くらい、作文を書かないといけないんですよ。 自分の犯罪や過去のつらかったことを思い出して、そのときに自分はどう思ってたのかを細かく振り返って、過去と向き合うんです。 私にとってはそれがいちばんきつい時間で、それから逃げるには、本を読むか勉強するしかなかった」 少年院には勉強を妨げるスマホも、テレビも、友だちからの誘いもない。 先生の影響で、法務教官という仕事に興味を持った戦慄さんは勉強に励み、高卒認定試験に合格した。 少年院で、ほかにもいくつかの資格を取得していた戦慄さんは、2016年に満期で退院した後、薬局で事務員として働き始めた。 母親が決めてきた仕事だった。 しかし、数カ月で辞めてしまう。 ある日、思い立ったのだ。 アイドルになろうと。 当時、大手の芸能事務所ではなく、中小の事務所に所属して、あるいは個人レベルでライブなどを行う女の子たちが登場していた。 彼女たちは「地下アイドル」と呼ばれた。 戦慄さんが少年院に入ったころには存在しなかった言葉で、退院後に、地下アイドルの存在を知った戦慄さんは、驚いたという。 同時に、こう思った。 「これなら私もできる!」。 「私が知ってるアイドルはAKB AKB48 とかモー娘 モーニング娘。 で、自分がなれるとは、思ったこともありませんでした。 でも、私が少年院に入っている間に、一気に地下アイドルという言葉が浸透して、なかにはおゆうぎ会レベルのアイドルもいました。 私はダンスがすごく好きだったので、ダンスを生かせば、私もアイドルになれるかもしれないと思ったんです」 とはいえ、何かツテがあったわけではない。 さてどうしようかな、と思っていた矢先に、ツイッターを通して、芸能関係者と名乗る人物から連絡があった。 なんと、戦慄さんが妹とダンスしている動画をツイッターにアップしたところ、それを見た人がその関係者に連絡。 その関係者は、戦慄さんをイベントに誘った。 「かわいいし、ダンスもうまいから、うちのイベントに出てみませんか。 歌はもう、どんなふうでもいいので」 歌はどんなふうでもいい、という言葉にはリアリティがある。 その誘いに乗った戦慄さんは、イベントに出演。 すると、あっという間にファンがつき、ツイッターのフォロワーがどんどん増えていった。 「浮いてなんぼ」の世界 この舞台の前後、アイドルらしくキラキラしたキャラを演じていた戦慄さんは、すぐに考えを改めた。 「私は地上のアイドルを目指しているわけじゃない。 だったら、自分のやりたいことをしたいし、私が素を見せてもついてきてくれるファンがいればいいや」 ぶりっ子をやめた。 気持ち悪いと思うファンには、中指を突き立てた。 ツイッターでも、歯に衣着せぬ投稿をするようになった。 そのせいで、何度か「炎上」した。 その分、地下アイドルの女の子たちのなかでは浮いた存在になり、ドロドロした地下アイドルの闇にも触れた。 しかし、戦慄さんにとっては、たいしたことではなかった。 「どんどん浮け浮け、っていうか、浮いてなんぼですよね」 イメージチェンジ、というより、素の自分を出すようになってしばらくすると、別の芸能関係者から声をかけられた。 その人は「のーぷらん。 」という、地下アイドル業界では名を知られているグループの運営に携わっている人物で、戦慄さんはあれよあれよという間にその一員に加わった。 アイドルになるのはハードルが高そうな印象がありますが、というと、戦慄さんはうんうん、とうなずきながらこう言った。 「それくらい身近なものになってたんですよ、アイドルが。 それくらい!」 しかし、のーぷらん。 での活動は、2017年1月から5月までという短期間で終わった。 もともと大学受験をするための受験勉強をしたいと思っていたことに加えて、アイドル活動と並行して応募した、「ミスiD 2018」の選考が進んでいたことも関係している。 「ミスiD」は講談社が主催するオーディションで、「まったく新しいタイプの女の子を発掘し育てる」ことをテーマに掲げる。 応募したときには少年院の話は伏せていたが、4000人が応募するこのオーディションで最終審査に残ったときに、戦慄さんは腹をくくった。 「私は破天荒な感じなんですけど、もともとのーぷらん。 はキラキラした感じでなじめなかったし、ここにいても私はアイドルとしてステップアップできないなと思ったので、大学受験もあるのでやめさせてもらいますと伝えて、脱退しました」 迎えた2017年11月、多数の審査員を目の前にして開催された最終審査で、戦慄さんは幼少時の虐待の体験、非行と少年院の話を、赤裸々に語った。 「なにかつめあとを残そうと思ったら、それくらいしかなかったんですよね 笑。 少年院っていうのは、さすがにひかれるかなと思ったけど、もういいやって。 やりたいことがあったから、そのために話しました」 前代未聞の告白に、審査員も衝撃を受けたのではないか。 それは、戦慄さんに「サバイバル賞」を授与したことからもうかがえる。 今、振り返れば「サバイバル賞」は、戦慄さんの人生を表すような表彰だった。 「ミスiD」の最終審査の後、受験勉強に専念した戦慄さんは、見事に誰もがその名を知る有名私立大学に合格。 ネグレクト、非行、少年院での1年8カ月を乗り越えて、自力で大学にまではい上がったのだ。 ひどい虐待などを受けながら生き残った人を、「サバイバー」と言い表すが、戦慄さんはまさにサバイバーだろう。 19歳のアイドルが目指すもの 今春、晴れて大学生になった戦慄さんは、一時休止していたアイドル活動を本格的に再開する。 現在は母親、妹と同居中。 少年院時代にイヤになったほど過去と向き合ったから、母親を憎む気持ちは薄れたが、わだかまりがとけるはずもない。 早くアイドルとしてひとり立ちするために、ピアノ、作曲、ダンスなど9つの習いごとをしているという。 同時に「やりたいこと」を実現するために動き出している。 彼女が目指すのは、「今まさに虐待されている子どもたちを救うこと」だ。 「少年院に入ったら、虐待されていた子が結構いたんですよ。 でも、虐待を受けている子自身がSOSを出すのって、すごくハードルが高いんです。 私自身、虐待されてるときには外に助けを求められなかったし、自分が虐待されてると気付いてないパターンも多いんです。 だから、周りの大人が目を向けてあげることが大事だな、と思っていて。 たとえば、私の家にはおカネがあるのに、私と妹は貧困状態でした。 そういう現状があるということを発信したり、虐待されている子どもたちを助けられるような活動をしたりしていきたいんです。 でも、この話だけすると、怪しいでしょ。 だから、ミスiDの最終審査で、自分の経験を話しました」 こう考えるようになったきっかけは少年院時代。 もともと、カウンセラーに興味を持っていた戦慄さんは、少年院に入って先生に出会うことで立ち直った。 だから、1度は法務教官になりたいと思っていたが、アイドル活動をしているうちに、大勢のファンができた。 その人たちは、アイドルとして飾らない、「素の自分」を応援してくれている人たちだ。 それなら、法務教官ではなく、アイドルとして手にしたファンの力、影響力を使って、虐待を受けている子どもたちを救いたい。 そう思ったのだ。 この活動は、ひとりでできるような活動ではないことを、戦慄さんは理解している。 だから、大学で法律の専門知識を身に付けつつ、協力者を得ながらこの活動をNPO 非営利組織 化して、クラウドファンディングで寄付金を募るという計画を立てている。 唐突だが、「戦慄」という言葉を調べると、「恐ろしくて、身体が震えること」 デジタル大辞泉 とある。 インタビューの最後に、「なぜ戦慄というアイドルらしくない言葉を名前に使ったのですか?」と尋ねたら、戦慄さんは楽しそうに笑った。 今度は子どもたちを救い出す 「あまり深く考えていなくて、ヤバいやつ、ぐらいの感覚で選びました。 響きが面白いし、戦慄っていう苗字はほかにいないし。 でも、よく考えたら、戦慄ってホラー映画とかお化け屋敷とかにしか、使われないですよね。 ちょっとしくったかもしれない」 戦慄かなの、19歳。 子どものころ、虐待におびえ、それでも生き抜いてきたアイドルが今、虐待に「戦慄」している子どもたちを、どうにかして救い出そうとしている。 自らの人生とその活動を印象付ける意味で、戦慄かなのという名前は、今後、これ以上ないほどのインパクトを持つだろう。

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戦慄かなのが少年院に入った理由、場所、本名は?妹もアイドルをしている!生い立ちや大学名などまとめ

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少年院上がりのアイドル・戦慄かなの(撮影/田中智久) 15cmはあろうかというキラキララメの厚底ブーツにミニスカートがまぶしく、人形のような色白肌にぱっちりとした目がかわいらしい。 彼女は20才の人気アイドル・戦慄かなの(20才)。 現在は大学生活と芸能活動の二足のわらじで多忙な日々を送る。 ハタチになった感想を聞くと、大きな目を見開き、会心の笑顔で答えた。 「やっと保護観察がとれてうれしいです!」 保護観察? そう、彼女は少年院上がりのアイドルなのだ。 少年院出身という異色の経歴に加え、壮絶な半生を淡々と語り、大物相手に物おじもしない。 「相手の人さし指を噛んで性格を当てる」という特技を披露し、マツコ・デラックス(46才)の太い指をガリガリと噛んで、「修羅くぐってる!」と一言。 スタジオをあ然とさせた。 11月18日には『サンデー・ジャポン』(TBS系)に出演。 異色すぎるアイドルの出現は、「あの子、何者!?」「ヤバイ!」「少年院から大学って、どうやって入った?」など世間に大反響が巻き起こっている。 彼女は一体何者なのか。 取材会場に1人で来ると、早口気味に「最近、急に忙しくなって、今日もこのあと別の取材があって…。 せっかく妹と2人暮らしを始めたのに全然家に帰れないんです」と説明し、控え目な笑顔を見せた。 そしてその笑顔のまま、両親の離婚、虐待、JKビジネスを語った。 幼少期に両親は離婚し、母と2才下の妹と3人、東京に移り住んだ。 「小さい頃のことで記憶に残っているのは、母が父に暴力をふるい、血まみれになった父が壊れた家具をガムテープで修復する姿です。 父は優しかったけれど、私が小学校に入ったときに離婚して出て行ってしまった」(かなのさん・以下同) それまで家事を担っていた父がいなくなり残された姉妹を待っていたのは母からの虐待だった。 頻繁な暴力で姉妹のお尻にはミミズ腫れが絶えなかった。 「ある時、母が私たちを置いて恋人と海外に出かけ、1週間家を空けたことがありました。 用意されていた食事は3日でなくなり、水道水で飢えをしのいだこともあります。 ただ、そんな状況でも、当時虐待されているという認識は私にはなかったんです。 母は私を殴っても数時間後には『ごめんね』ってハグしてきたし、普通の母子よりスキンシップは多かったかもしれません」 滑らかな口調が一瞬、淀む。 手入れの行き届かない髪に、いつも同じ服装。 中学校に入るといじめの標的になった。 「今思えば、毎日の入浴や歯磨き、着替えなど基本的な生活習慣も教えられず、汚く見えていたのだと思います」•

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アイドルは想像を絶する「サバイバー」だった

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現在は、『ZOC』というアイドルグループに所属している。 過去に数々の悪行を働いていたことを告白。 しかし、現在は更生して、児童虐待や育児放棄を救うNPO法人を設立したことを明らかにした。 ネット上ではそんな戦慄の身の上に、一部共感の声が上がったが、多くの人は 《どんなに反省してる、更生したっていっても、悪いことしてた自慢をするやつはそもそも根が腐ってると思います》 《少年院に入るってことは被害者もいるわけでしょ。 面白おかしく語ることではないよね》 《この子、真顔になったときの眼光が鋭い》 《少年院で取れる資格は取り尽くしたって言ってたけど、それも税金なんだよなぁ》 《これ見て、アホガキどもが勘違いしないといいけどね…》 など、批判的な声を上げている。 本当に更生した? 「母子家庭で育ったという戦慄は、幼少期に母親から育児放棄され、虐待されていたそうです。 食事にも困る毎日で、そのため幼いころから金への執着が人一倍強かったとか。 中学生時代には歌舞伎町をうろつき、JKビジネスやアマゾンギフト詐欺に手を染めていたようですね。 通常10カ月程度で出所する少年院に2年もいたということは、更生にかなりの時間が必要と判断されたのでしょう。 最初から真面目に生きていれば、少年院に入ることもなかったと思うのだが…。 「戦慄が本当に更生しているかは、これから分かるでしょうね。 ただ、過去にツイッターで狩野英孝の淫行報道に関する暴露発言をしたことで、ネット上では『こいつは目立ちたいだけだろ!』と批判を浴びています。

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