原爆 ドーム もともと。 広島の原爆ドームは元々何の建物?黒い雨とは?広島原爆投下についてまとめました

原爆ドーム

原爆 ドーム もともと

第二次世界大戦当時は「広島県産業奨励館」と呼ばれていました。 チェコ人の建築家ヤン・レッツェルによるネオ・バロック風の設計で、1915年に開館。 当時、3F建ての大胆な西洋風建築はめずらしく、広島県産業奨励館は広島の名所の1つに数えられるほどでした。 しかし、原爆投下によって美しい建物の本体が全壊し、中央のドームとその周囲の枠組み、外壁だけが残りました。 周囲の建物のほとんどが爆風で吹き飛んだのに対し、原爆ドームだけが残存した理由としては「ほぼ真上で爆発が起きたこと」が挙げられています。 1996年にユネスコ世界遺産に登録されました。 広島平和記念資料館 広島平和記念資料館は、本館と東館の2つの施設から構成されています。 本館には、熱風で溶けた瓦やボロボロになった服など、原爆の悲惨さを伝える資料が展示されています。 東館には、原爆の広島への投下から復興の様子が再現されたCGなど、最新の技術を用いた展示がされています。 2018年7月にリニューアルオープン予定。 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 原爆によって亡くなった人々を悼む目的で建てられた施設で、被爆者の被爆体験記の展示などがされています。

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いままでの質問(しつもん)

原爆 ドーム もともと

広島の原爆ドームは日本国内にある世界遺産の1つです。 今回は原爆ドームの概要と併せて回りたい周辺の平和スポットについてご紹介します。 原爆ドームってどんなところ? 広島県広島市にある「原爆ドーム」は、被爆の惨状を今に伝える貴重な建物です。 人類の繁栄と破滅の分岐点を露呈し、世界恒久平和と核兵器廃絶を願ってメッセージを発信し続けています。 現在、敷地内は立ち入り禁止のため、柵の外側からのみ見学できます。 かつては近代化に貢献した文化的施設 原爆ドームは、もともと産業推奨、文化復興を目的として、1915年4月に広島物産陳列館として竣工された建物です。 県内の物産や他府県から収集した参考品、取引に関する書籍類などが並べられていました。 当時の広島は近代工業の発達により賑わいのある街並みでしたが、都市部はまだ木造2階建てが主流でした。 この広島物産陳列館はヨーロッパ様式のレンガ造り建築で、全体は3階建て、正面中央部分には5階建ての階段室、その上に銅板の楕円形ドームが設置されていました。 その革新的な建造物に人々は驚嘆し、広島の名所の1つであったといわれています。 原爆投下から現在まで 昭和20年(1945年)8月6日、一発の原子爆弾が投下され広島市街の建物は一瞬にして倒壊。 辺りは跡形もなく焼けてしまいました。 原爆ドームから爆心地までの距離は南東約160mでした。 凄まじい爆風と熱線により館内にいた職員たちは全員即死、建物は火を噴きだして全焼しました。 しかし、厚い壁や鉄骨のドーム部分などは奇跡的に倒壊を免れました。 それは、上方からの爆風がほぼ垂直に下方に働いたことが理由だと推測されています。 鉄骨がむき出しとなった姿は、誰が名付けたわけでもなく、いつしか「原爆ドーム」と呼ばれるようになりました。 悲惨な記憶を思い起こさせる建物を残すことには賛否両論ありましたが、広島市の募金活動などによって補修・保存が行われ、平成8年(1996年)12月に世界遺産に登録されました。 決して恨みの遺物ではなく、世界平和と核兵器撲滅への願い、人類懺悔の象徴を目的として存在しています。 併せて回るべき「広島平和記念公園」 原爆ドームの南側に位置する「広島平和記念公園」は併せて巡りたい平和的スポットです。 園内には当時を知るための資料館、祈りをささげるための記念碑などが点在しています。 広島平和記念資料館 「広島平和記念資料館」は、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を目指して設立されました。 本館と東館に分かれており、被害者の遺品や写真・資料の展示を中心に、原爆投下前後の広島の変遷などを知ることができます。 本館展示内容の一部を東館1階の企画展示室で展示。 原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑) 「原爆死没者慰霊碑」は平和都市の再建を念願して建立された記念碑です。 碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。 中央部分の石室には、国籍に関わらず亡くなった原爆被爆者の名簿が納められています。 平和の鐘 「平和の鐘」は、原爆被災者広島悲願結晶の会によって設置されたオブジェです。 その鐘の表面には国境のない世界地図、撞座(鐘を棒で突く部分)には原子力マークが施され、「世界はひとつ」「原水爆禁止」という強い思いが込められています。 原子力マークの内側には、突く人の心を映し出す鏡が入れられています。 広島空港から原爆ドームへのアクセス 空港リムジンバス(広島バスセンター行)に乗車し、「広島バスセンター」にて下車。 そこから徒歩約5分。 さいごに 原爆投下によって未曽有の大惨事を経験したのは、世界で唯一日本だけです。 建物内部がむき出しになった原爆ドームは、被爆の惨状を世界に投げかける貴重な世界遺産です。 さらなる世界平和を願い、原爆ドームに足を運んでみるのもよいのではないでしょうか。 部屋数 1部屋目 大人 名 子供 名 宿泊時の 年齢を入力してください 子供1 歳 子供2 歳 子供3 歳 子供4 歳•

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もしも、原爆ドームが残っていなかったら 〜広島〜

原爆 ドーム もともと

ここ最近 、核に関するニュースをテレビの報道番組でよく耳にしますよね? 核が初めて出来た当時、核は非常に有効に使える武器と人々は考えていたみたいです。 しかし、過去に核を使用した事により、恐ろしい事態が起こっています。 それが、広島原爆投下です。 今回は広島原爆投下について、取り上げたいと思います。 まず何故、広島原爆投下が起こったのか、二つの段落に分けて説明します。 スポンサーリンク 広島原爆投下の概要 広島原爆投下は太平洋戦争の末に起こっています。 太平洋戦争はアメリカやイギリス、アジアなどを巻き込んだ第二次世界大戦中の出来事です。 第二次世界大戦中、日本は満州国を建てた事によりアメリカとの同盟に失敗してしまいました。 その後、日本はドイツ、イタリアと日独伊三国同盟を結ぶ事に決めます。 この頃から日本は軍事教育をしていたので、やりきれない気持ちになります。 そして、アメリカから直接日本に満州国を元の状態に戻せという内容の提案をしますが、日本はアメリカからの提案を通そうとしませんでした。 この日本の態度にアメリカ側は提案を拒否したものと受け取り、ついに 太平洋戦争が発生したのです。 まず、日本はマレー半島などの太平洋上の島を占拠します。 この事が契機となりアメリカと日本の外交関係が悪化してしまいます。 そしてアメリカ側は日本を攻撃する事に決めました。 太平洋上の島を占拠した頃の日本は戦局的に優位に立っていたみたいです。 しかし、 ミッドウェー海戦 により日本の戦局は一変。 ミッドウェー海戦をきっかけに、日本軍はアメリカ軍に軍事力での差をつけられ、日本は追い詰められる形になります。 しかし、この状況になっても日本はアメリカの要求を受け入れず、アメリカが日本の広島に原爆を落とすことに決めました。 日本の広島に原爆を落とすことにした年月日は 1945年8月6日です。 fc2. jpg この時に使用された核爆弾は リトルボーイです。 このミサイルには、人の体に悪影響を及ぼすウラン235が入っています。 ウラン235はウランの種類の一つで、中で分裂反応をしたり、エネルギーを出す性質を持っています。 このウラン235が、放射能を浴びた被害者を出した原因だったのです。 wikimedia. jpg リトルボーイはアメリカ合衆国で作られた物で、この爆弾を落とすのに用いられた爆撃機がB-29爆撃機(エノラゲイ) です。 B-29爆撃機はウラン235が入った核爆弾を広島の地に落としました。 原爆投下により死亡した人の数ははっきりと分からないですが、 推測で14万人 に昇ると言われています。 直接、核爆弾の被害に合わなかった人も爆発地の近くにいているだけで、身体に甚大な怪我を負ったそうです。 リトルボーイは広島県広島市の上空の高度9600mから投下されます。 そして、細工町の島病院上空約600mの所で爆発しました。 ちなみに、細工町は現在の地域で広島市中区大手町になっています。 47news. jpg リトルボーイが爆発すると、 キノコの形をした雲が作られていきました。 爆発した瞬間、まばゆい光の衝撃がやってきます。 まばゆい光の衝撃の後、爆発の衝撃が建物や人々を襲いました。 まず建物ですが、衝撃に耐えきれず、崩れてしまいます。 素材が頑丈な物で出来ているレンガ造り、小コンクリート製の建物が、崩れてしましました。 この出来事により、建物の下敷きになった人は圧迫により死亡に至ります。 怖いですよね。 建物に取り付けられているガラスは自然の素材の中でも特に衝撃に弱く、もろく出来ているので爆発の影響で割れます。 割れたガラスは爆発により生じた風の勢いに吹き飛ばされ、人間の体を通過します。 ガラスが突き刺さった人間はすぐに死亡に至ります。 ガラスが体に突き刺さっても、しばらくの間は生き残っていた人もいましたが、ガラスは鋭いので重傷を負ってしまった人が大多数です。 かなり痛そうです。 広島原爆投下の動画があったので、おいておきますね。 少し画質が粗いですが、大まかな戦争の様子が伝わってくると思います。 そして爆発により生まれた熱線で体を構成している組織がボロボロになってしまいます。 また、非常に高い熱により、回復不能になるくらいの火傷を負ってしまいます。 火傷が治った後も、ケロイド症状を発症しました。 ケロイド症状とは、火傷の影響で皮膚が盛り上がる症状の事です。 また 放射能の影響を受けた妊婦にも爆撃の影響を与えています。 爆撃の影響により妊婦のお腹にいる赤ちゃんが死亡するというケースがあります。 また直接死亡に至らなくても、乳ガンや肺ガンの症状を抱えてしまう赤ちゃんもいました。 爆撃の中心地から離れている地点にも、甚大な被害が出ました。 熱線による火の粉も浴びると、人の皮膚を焼き尽くしてしまいます。 リトルボーイにより被害にあった地域の面積は 13200000㎡。 死者は118661人、怪我人は82807人だと推測されています。 今の生活で生きてる人からしたら想像もつかない数ですよね? この事実や推測から広島原爆投下が前代未聞の出来事という事が分かります。 goo. jpg 原爆ドームとして現在、文化遺産に登録されている 広島県産業奨励館という建物が当時の戦況を今でも伝える建物として知られています。 原爆が投下される前の広島県産業奨励館は、広島県発祥の特産品を見せる建物で、商品の取引も行っていました。 原爆ドームが前は、こんな建物だったなんて、びっくりしますよね? 原爆によって、建物自体が破壊された後は、残骸となってしまいますが、広島に原爆が落とされた時、広島の地にあった建物がほとんど焼失してしまいます。 でも、広島県産業奨励館は、焼けたにも関わらず、倒壊を避ける事が出来ました。 そして時代が過ぎるにつれて、徐々に産業奨励館は、原爆ドームと呼ばれるようになります。 そして、1966年に広島市議会で原爆ドームの保存をする事に決定しました。 そして、1995年に国の史跡に決定しました。 そして、それが世界の人々に認められ、平和の世界を目指す為に後世に伝える建物として、 1996年に原爆ドームは世界遺産に登録されました。 世界遺産に登録される前に、こうした背景があったとは、びっくりしますよね。 しかし、広島県産業奨励館が爆発した時、中に人がいて、死亡者が出ました。 広島原爆ドームは悲劇の象徴です。 なので、個人的に世界遺産に登録された出来事は複雑だと思いました。 黒い雨は何故降ってきたのか? 広島に原爆が落とされて、原爆の惨劇が終わったわけではありません。 原爆投下の日から数日経過した後に、空から 黒い雨が降ってきます。 この 黒い雨の正体は 放射能やホコリ、泥です。 何故、この雨が降ってきたか簡単に説明します。 原爆から出た放射能は消えずに大気に残っている状態になります。 そして、放射能を含んだ大気がホコリとともに上昇して、やがて雲に変化します。 そして雲から放射能を含んだ黒い雨が降ってきました。 この雨は広島市に集中的に降り注ぎ、何年もの間、人々を苦しめました。 この黒い雨を直接、浴びてしまうと、上で記述した通り、放射能を浴びた時と同じ症状を出してしまいます。 また、頭の毛が抜けたり、白血病、出血などの症状も出てきます。 また、黒い雨により動物や魚が呼吸出来なくなり、死亡しました。 このような環境汚染によって変わる自然の光景も当時の人々に恐れられていました。 放射能を浴びると、数年経っても回復しない事が多く、後遺症として人の体に残りました。 今聞くと、想像もつかない状態ですよね? スポンサーリンク 広島原爆投下、その後 鈴木貫太郎内閣の時に日本側はようやく降伏を認めて、 ポツダム宣言を出します。 この宣言により、日本は GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領に組み込まれる事になります。 その後、陸軍や海軍などの省が廃止になります。 また戦争に参加した軍人が職業に就く事を政府が禁止します。 出典:city. hokkai. jpg その後、日本国憲法が出ました。 憲法というと難しいイメージがありますよね。 日本国憲法は、分かりやすく言えばいくつかの決まり事が書かれている憲法の事です。 詳しく述べるならば、日本国憲法では、司法権を裁判所に、行政権を内閣に、立法権を国会に属すると定めています。 やっぱり憲法って難しい・・・。 日本国憲法で日本は広島原爆投下のような出来事を繰り返さないために、 平和主義を掲げています。 日本国憲法第9条第1項では戦争の放棄を、第2項で戦力の不保持、第3項で交戦権の否認に関する事が書かれています。 この内容から日本を戦争の悲劇を繰り返さない決意をくみ取る事も出来ます。 日本国憲法が公布されて、その後、日本は国際的な道を歩む事に決めました。 この状況にあっても立ち上がった日本は凄いと思います。 個人的に広島原爆投下は日本人が経験したくない痛ましい出来事だったに違いないと思います。 そして、原爆投下によりトラウマが出た日本人も多いです。 トラウマは長い時間が経過していくと、元の状態に戻す事が不可能になってきます。 聞いてるだけで、複雑な心境になりますよね? 私は家族と広島県に行った時に、原爆ドームに行った事があります。 原爆ドームの中に入ると、戦時中に撮られた写真の資料が数多くありました。 その写真の中には広島原爆投下により、皮膚が爛れた人の写真や黒く焦げた人の集団の写真があり、本当に現実の日本で起こった事なのかと怖く思いました。 人間をこんなむごい形で殺すなんて許されない事だし、頑張って生きようとする人の可能性をつぶすなんて、絶対にあってはならない事だと強く思います。 そして、 私は放射能を含んだ原発や核を 今すぐに無くして欲しいと思いました。 まとめ 出典:blog. onekoreanews. jpg ここ最近、NHKが核戦争に関して日本国民が思っている事というテーマでアンケート調査をしました。 なんと、近い将来、核戦争が起きると考えている日本人が 70%もいたのです! 確かに現在でも核を保有している国は数多いですよね。 現在では北朝鮮やインド、パキスタン、アメリカ、ロシアなどの国が、核を保有しています。 また世界の情勢に目を向けてみれば、あらゆる所で紛争が絶えない状況にあります。 これでは、核無き世界を目指すという事は難しい事だと思うし、ふとした事がきっかけで戦争に発展する可能性があるかもしれないですよね。 しかし、そんな現代だからこそ当時の悲劇を繰り返さない為に、平和な世界を目指す事が大事だと思います。 これからの時代の中で、過去の広島原爆投下の事を知って脅威的な核の恐怖を知り、広島原爆投下の事は決して風化させてはいけないと私は強く思いました。 最後まで読んで頂き、ありがとうございました! スポンサーリンク•

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