古今 著 聞 集。 古今著聞集 [やたがらすナビ]

古今著聞集『衣のたて』 現代語訳

古今 著 聞 集

『古今著聞集』は橘成季が編纂した説話集である。 説話集というと、昔話が次から次へと詰めこまれているものが多いが、本書は様々な分野で各巻が分けられており、非常に整然とした印象を受けた。 そして、『今昔物語』『宇治拾遺物語』が所謂「昔話」を中心としているのに比べ、本著はより具体的な時代や人物について語っている物が多い為、他の説話集とは違った意味での親近感があるように思う。 尚、この上巻では神祇、釈教、政治、文学・和歌・管弦・能書…など等、宮廷文化に取材したものが編纂されている。 武勇、馬芸等の項目もあるが、これも決して武士の活躍を扱ったものではなく、宮廷での武術等であり、こうした所に編者の価値観が現れているのかもしれない。 とは言え、登場人物も多岐に亘り、集められた説話も非常に多彩なので内容の偏りを感じさせられる事はない。 本書は他の説話集に比べると、やや馴染みが薄いかもしれないが、お勧め出来る一冊である。 因みに、どの話も面白いので敢えて取り上げるのは難しいが、強いて言うなれば個人的には藤原頼長に関する逸話は非常に興味深く読む事が出来た。 保元の乱の首謀者とされる藤原頼長は一般的には妥協を知らない苛烈な性格で非常に恐れられた人物と評されている。 然しながら、本書に登場する頼長は、礼、恩義を重んじ、自らの過ちを認めれば素直に詫び、不得手な分野ではでしゃばらない…そんな人物として描かれているばかりか、寵臣にねじ伏せられておとなしくなってしまうような好人物として語られている。 一般的に知られている人物像とは全く違う側面を伝えてくれるのも説話集ならではの魅力なのではなかろうか。 このように、誰か特定の登場人物に焦点を絞って読むのも良し、興味のある分野だけをピックアップして読むのも良し、楽しみ方は多様にあるように思う。 但し、最後に付け加えておくが、少々難解なのも事実である。 「現代語完訳」という訳ではないので、古典文学の原文を難なく読める人以外は、結構苦労してしまうかも知れない。 とは言え、かなりの範囲で親切な注釈が付いているので、丁寧に読んで行けば大丈夫であろう。 勿論、苦労しても一読の価値はあるので、古典にちょっと自信のない方でも是非挑戦して頂きたいと思う。

次の

古今著聞集のお話ですが、細かい内容がよくわかりません。現代語...

古今 著 聞 集

鎌倉時代前期の1254年頃、下級役人を務めていた橘成季(たちばなのなりすえ)が編纂した『古今著聞集』。 民話や伝説など人々の間で伝承されてきた物語を集めた説話集です。 20巻30篇726話からなる大作で、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』とともに「日本三大説話集」に数えられています。 収録されている説話は、「篇」と呼ばれるジャンルごとに分類されています。 神や仏について語られている「神祇」「釈教」、公的なものに関する「政道忠臣」「公事」、文化に関する「文学」「和歌」「管絃歌舞」、笑い話や不思議な話を含めた「興言利口」「怪異」「変化」、自然に関する「草木」「魚虫禽獣」など多岐にわたっているのが特徴です。 各篇の冒頭には、説話の起源や要約が書かれ、まとめられている説話も年代順に配列されているなど、百科事典のような側面もあります。 このことから、鎌倉時代や平安時代以前の日本の世俗を伝える資料としても重宝されているのです。 編纂者である橘成季は、鎌倉幕府4代将軍・藤原頼経(よりつね)の父である九条道家に仕えていた人物です。 官職を引退した後に、『古今著聞集』の編纂に取り組みました。 収録されているさまざまな説話は、平安時代に公卿を務めていた藤原頼長の『台記』、藤原宗忠の『中右記』などの日記、平安時代の説話集『江談抄(ごうだんしょう)』などの記録を調べたうえで、各地を訪ね歩き、人々から聞き取ったものだとされています。 鎌倉時代のものよりも王朝時代のエピソードが多く、これは橘成季が古い時代の文物や制度を尊ぶ「尚古的」思想の強い人物だったからだそうです。 貴族の名家である橘氏に生まれ、琵琶や絵画にも精通していた成季。 武士の世である鎌倉時代を「末代」「世の末」と批判的に見ていたことが表れていると考えられるでしょう。 『古今著聞集』はもともと、優雅な物語を収集して絵にまとめようとしていたものでした。 ただ取材をするうちに興味が広がり、民間の伝承や猥雑な話も含めた説話集になっていったとされています。 『古今著聞集』の「刑部卿」の歌を、本文、現代語訳つきで解説 では、『古今著聞集』に収録されている説話のなかでも有名な「刑部卿敦兼と北の方」に登場する歌について解説していきます。 本文 「ませのうちなる白菊も 移ろふ見るこそあはれなれ われらが通ひて見し人も かくしつつこそかれにしか」 現代語訳 「垣根の内にある白菊も、色褪せていくのを見るのはしみじみと心打たれる。 私が通って結婚した人も、同じく枯れるように私の心から離れていってしまった」 ではこの歌はどのような状況で詠まれたのでしょうか。 流れを見ていきましょう。 物語の主人公である敦兼(あつかね)という人物は、とても醜い容姿をしていました。 彼の夫人は綺麗な人で、ある日、自分の主人が醜いことを不愉快に思うようになり、家では口をきかず、目も合わせなくなってしまいます。 さらには同じ空間にいることさえも嫌がるようになり、2人は家庭内別居状態になってしまいました。 ある日敦兼が仕事から帰って来ると、夫人だけでなく家に仕える女房たちも姿を見せません。 敦兼が服を脱いでも、畳んでくれる人もいません。 これは、夫人が女房たちに敦兼の世話は何もしなくていいと目配せをしていたからなのです。 どうしようもなくなった敦兼が、部屋の戸を開けてひとりで物思いに耽っていると、夜が更けて、あたりは静まり返り、月の光や風の音などのひとつひとつが身に染み入ってきました。 心を静め、篳篥(ひちりき)という管楽器を演奏しながら、歌を詠みます。 ませのうちなる白菊も 移ろふ見るこそあはれなれ われらが通ひて見し人も かくしつつこそかれにしか」 するとこの歌を聞いた夫人は、出会った当時の頃を思い出したのか心が元に戻り、夫婦仲も良くなったそうです。 『古今著聞集』「ある所に強盗入りたりけるに~」の説話から学べることとは 『古今著聞集』に収められている説話のなかには、ユーモラスなものも多くあります。 なかでも有名なのが、「ある所に強盗入りたりけるに~」という書き出しで始まる第12巻の「弓取の法師が臆病の事」。 では内容を紹介していきましょう。 あるところに、強盗たちが押し入りました。 仲間である法師に門前で見張りをさせます。 法師は門のそばで弓に矢をつがえて周囲を警戒していましたが、季節は秋で、門の傍らには柿の木があり、熟した柿が法師の頭の上に落ちてつぶれ、飛び散りました。 法師が慌てて頭を触ると、ぬるぬるしていたのですっかり気おくれしてしまい、矢で射られたと思い込んでしまいました。 そして法師は近くにいた仲間に、「やられた。 この深手では逃げ切れないからいっそのこと首を切り落としてくれ」と頼みます。 驚いた仲間が「どこをやられた」と聞くと、「頭だ」と答えます。 仲間が法師の頭を触って確認すると、たしかにぬるぬるして、手に赤いものも付きました。 確かに血だと思いつつ、「そんな様子ではたいした怪我ではないだろう。 なんとか連れて行ってやるから」と肩を貸そうとしますが、法師は聞き入れずに「いやもう助からない。 早く首を切ってくれ」と言い張るのです。 仲間は仕方なくその言葉に従い、首を切り落としました。 仲間が首を包んで山和の国にある法師の家を訪ね、事情を説明して首を渡すと、妻子は泣き悲しみながら布をほどき、首を確認します。 しかし、どこにも矢の傷がありません。 妻が「うちの人は、胴に傷を負ったのですか」と尋ねると、仲間は「そうではない。 しきりにこの頭のことを言っていた」と答えます。 妻子は、乾いた柿がこびりついた首を見ながら悲しみますが、もはやどうしようもありませんでした。 法師といえば、平安時代末期の後白河法皇が「自分の思うようにできないもの」として、「鴨川の水害」「双六の賽の目」「比叡山の山法師」と並べるほど荒くれものとされていました。 しかしこの説話に登場する法師は、臆病だったばかりにつぶれた柿の汁を血だと思い込み、命を縮めてしまうのです。 確かに感触は似ているかもしれませんが、よく見れば色も違うでしょうし、そもそも矢が刺さった痛みがないことに気づいていればこんなことにはならなかったはず。 「臆病は命取り」というのが、この説話の教訓になっています。

次の

古今著聞集『衣のたて』 現代語訳

古今 著 聞 集

9巻の武勇編で語られたをもとに描かれたの「八幡太郎義家」 の後、中期から鎌倉初期に至るまでの700余編は、神祇・釈教・政道忠臣・公事・文學・和歌・管絃歌舞・能書・術道・孝行恩愛・好色・武勇・弓箭・馬藝・相撲強力・書圖・蹴鞠・博奕・偸盗・祝言・哀傷・遊覧・宿執・闘諍・興言利口・恠異・變化・飮食・草木・魚虫禽獣の30編に分類され、百科事典的性格を持っている。 各篇の冒頭には、その篇に収録されているに応じた、事の起源や要約的な内容が記され、それに続いて、説話が年代順に記されている。 題材を多く王朝社会に仰ぎ、尚古傾向 も著しい。 特色 [ ]• を下地とした記録風の逸話から、下々の庶民に関する異聞奇譚まで、その描写対象は多岐にわたるが、中でも各種芸能の説話に富んでいるのは、琵琶をに学び、詩歌絵画などにも優れた作者成季の才芸を反映している。 作者がの近習であったこともあり、『古今著聞集』の観点は寄りである。 江戸期の・・等多くの著聞集物に影響を与えた。 古今の説話の集成とはいえ、大半がの説話で占められ、当代の説話は比較的少ない。 これは、名門の出身である成季の王朝志向によるものであると同時に、当代を「末代」・「世の末」と呼ぶ成季の当代への批判的意識を示している。 その一方で、輿言利口篇などの特色ある当代の説話群を形成することによって説話文学としての価値を高からしめている。 登場する実在の人物 [ ] 、、、、、、、、、、、、、、 [ ]、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、など。 脚注 [ ]• 福田益和、「」 九州大学国語国文学会 『語文研究』 37巻, p57-66, 1974-08-00, :,。 福田益和、「」『長崎大学教養部紀要. 人文科学』 1975年 16巻 p. 1-9,。 高島経雄、文芸社, 2000。 志村有弘, 「」『国文学研究』 8巻 p. 71-82, 1972-11-25, 梅光女学院大学国語国文学会。 古今著聞集(、84)の「解説」による。 古今著聞集の跋文にも「部をわかち巻をさだめて、三十篇二十巻とす。 篇のはしばしに、いささかそのことのをこりをのべて、つぎつぎにそのものがたりをあらはせり」(一部表記を改めた)とある。 すなわち、 「いにしへよりよきこともあしきことも記しおき侍らずば、誰か古きを慕ふ情けを残し侍るべき」 いにしえからの良いこともまた悪いことも、記録して置かなかったら誰が古い時代のことを懐かしむでしょうか とある。 福田益和、「」『長崎大学教養部紀要. 人文科学篇』 1981年 21巻 2号 p. 1-20, ,。 参考文献 [ ]• 「」()、「」()所収。 本郷恵子『物語の舞台を歩く12 古今著聞集』山川出版社、2010年7月 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• 近代デジタルライブラリー この項目は、 に関連した です。 などしてくださる(/)。

次の