みうらじゅん そこがいいんじゃない。 他人と比較しそうになったら、みうらじゅんさんの比較三原則

他人と比較しそうになったら、みうらじゅんさんの比較三原則

みうらじゅん そこがいいんじゃない

みうら ええ、おっしゃることはわかります。 実はいままでぼくも、意見を言うことが おもしろさの源だと思い込んでいました。 まともな意見、ヘンな意見、いろいろある中で、 やはり「ヘン」を言っていかないと、 ぼくなんかは注目されないと思っていたんです。 この業界、才能ある人はたくさんおられますから。 そのなかで注目を受けるためには 「できるだけ不自然に」とすら考えていました。 しかし これ(いまの姿)、見てくださいよ。 還暦姿できちんとしてるつもりなのに、 ものすごく不自然でしょ? 「もういいよ」「不自然はもう充分だよ」 と言われてしまうのが、 たぶんこのチェゲバラ風の 還暦ファッション、ということなんだと思います。 ですから、不自然さやヘンさは、 ずいぶんと消しても、もう大丈夫だと思うんです。 みうら こんなに簡単なことが、しかも、 世の中のシステムの中に すでにあった、 ということに対して驚きを隠せないわけです。 ご存知だと思いますが、 この服はべつに自分でデザインして 着ているわけではありません。 この年齢になるとみんな 「おい、やめてくれよ」「あれだけは着たくないよ」 と言っていたはずのものですが、 自らすすんで着てみることによって、 ものすごく不自然だということがわかりましたね。 不自然さを望んできた人にとっては、 これ(還暦ファッション)は朗報ですよ。 「いつか気を張らなくて大丈夫なときがくる。 安心して」 「1キロ先からも 君は充分見えてるぞ!」 と言ってあげることもできますからね。 昔っからそういう力が、自分にないんです。 ものごころついたときから「見せ前」、 つまり「人に見せる前提」でやってきたからです。 まぁ、根性があざといんでしょうね、 人に笑ってもらったり、 「おー」と感心してもらうことをエサにして、 ガッついて60まで来ました。 趣味って、基本的に、 やっているその人が楽しそうにするものであって、 人に笑ってもらおうとして やるものではないですよね。 ぼくはいちども 楽しそうにしたことがないと思います。 「なぜこんなことをやってるんだろう? いや、自分がやらなきゃなんないな」 と、自分をしつけなおすことばかりでした。 そういう癖をつけてしまっているし、 いきいきと好きなことやった経験がないので、 この先もおそらく、 ぼくに趣味ができることはないと思います。 みうら だから趣味の世界に入るには、 それなりのお金もかかります。 人に趣味を提供して、 それで儲けようとする方々もいる始末です。 みうら けれどもをたくさん集めて 儲けようなんて思う人はいないはずです。 「これでヒトヤマあててやる」 なんて思いはどこか間違っていますよね。 「冷マをびっちり冷蔵庫に貼って使えなくする、 これは笑ってもらえるんじゃないか?」 なんて思うようでは、趣味とは言えません。 だからぼくは、寂しいといえば寂しい人物です。 趣味人のように、 楽しい「団体」的なことをしたことがないからです。 ぼくはいつだって「個人」でした。 つまり「こじん」から「こじん」へ、なんですよ。 みうら そう、個人から故人へ。 個人ランナーとしてはしかたないです。 このまま獣道をひとりで 走りつづけるしかありません。 うちのオカンが無理やり通わせた ソロバン教室やオルガン教室にも ほとんど行っていません。 しかし、 自分塾にはよく行ってるんですよ。 昨日も塾を朝っぱらから ワーッ! とやってたんですよ。 ただ、その塾には 人がいたためしがないんですよね。 みうら ワーッて、声は聞こえるんですけど、 人は見えないんです。 脳内がやたらワーワーいってるだけで、なぜか、 人の姿は見受けられないんですよね。 それを「寂しい」と取るか、 「そこがいいんじゃない!」と取るかが、 分かれ道なんです。 だからそこには 比較というものが発生しないんですよ。 比較三原則ってご存知ですか。 みうら 親と他人と過去の自分、 この3者と比較しないまま、 ぼくは生きてきました。 だからこそ率先して、 こういうもの(赤いちゃんちゃんこ)が 着られるようになったのかもしれないと 思っています。 貼ってるときは 「喜ぶぞ!」という 声が聞こえてきます。 なんなら最近は貼りながら「喜ぶぞ!」って、 つい自分の口から出るときさえあります。 みうら 山と積まれたエロネタのなかから 1枚の写真を右手でつかみ、 また別の山から左手でさぐりあてた1枚が バッチリ合う瞬間があるんです。 「ここが金脈だぞ!」 という声が脳内で聞こえてきて、 最近では掘ったら必ず出る、 そんな感じになりました。 もういちど言いますが、 それはあくまで「やった!」ではなく、 「喜ぶぞ!」です。 「誰が?」ということを、 初期の頃は何度か自分で問うてみたんですが、 その答えは風に舞ってるんですよ、ええ。

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みうらじゅんとはー「そこがいいんじゃない!」を教えてくれた人|いちかわ あかね|note

みうらじゅん そこがいいんじゃない

(取材・文/総研スタッフ 高橋マサシ 撮影/三浦健司) 作成日:09. 22 武蔵野美術大学卒業。 在学中に「月刊漫画ガロ」で漫画家デビュー。 その後、イラストレーター、エッセイスト、ミュージシャンなど多面的に活躍。 「マイブーム」など多くの流行を生むことでも知られる。 1958年京都府生まれ。 血液型AB。 世の中のことは友達じゃないから、よくわからない 人の考えで気に食わないことってあるじゃない。 僕は同感したり同情したりすることが素晴らしいと思い込んでるから、人に違う考え方をされると単にイヤなんだ。 「僕と友達になりたいなら同感しろよ」って思う(笑)。 全く同じでなくても近いところで「グッとくる」のが友達だと思っているので、「それは違うよ」ってされると、「じゃあ友達じゃないよ」。 それでも友達ヅラするヤツには腹が立ってしまう(笑)。 だから、世の中のことって友達じゃないからよくわからないよね。 総理大臣がどうこう言うけど、友達じゃないもん。 友達じゃない人のことを「頭にくる」とか、よく言うなと思っちゃう。 それでも気に食わないことを感じたら、「そこがいいんじゃない!」って口に出して言うんだな。 僕もそうしているから。 最近感じるのは、自腹を切ったり損をしたりする人が減ったこと。 ボランティアとかエコって損じゃないからね。 だから「損ブーム」がくると面白いと思う。 でも、損をしそうだと感じると脳が「まずいぞ」と働くから、その一瞬前に「プレイボール!」とか意味のないことを叫ぶんだな。 そしたら脳が「何を言っているんだ、お前は」とまひして、損ができるようになるかも。 エンジニアも不安だが、みうらじゅんも不安に敏感 僕は前から不安ですよ。 不安な人って気持ちが大きくないし、悪い意味で敏感なんですよ。 堂々としている人は鈍感でね、ある意味でバカなんです。 これはDNAに入っているから直しようがない。 だから、不安を先取りする。 それが最先端なんです。 僕は今、「孫がかわいいかどうか」が不安なんですけど、孫なんていません。 つまり、手近にある不安は深刻だから、自分に起こるものすごい先の、どうでもいい不安を先取りしておくわけ。 そんな話は誰も真剣に聞いてくれないから、不安が増殖しないでいいと思いますよ。 僕は最高の不安を「不安タスティック」って呼んでるんだけどね(笑)。 自分に起こるいいことと悪いことの選択肢があって、いいほうばかりを取っていたら「上がり」になると思うんだよね。 僕は就職しなかった、ではなく会社に受からなくて就職できなかった人間だから、エンジニアとかサラリーマンの人のことはわからないけど、こんな商売していると上がったら終わり。 といって、自分に都合の悪い道を選ぶなんて大胆なこともできない。 だから、僕はどっちも選んでいます。 ロックが好きになったのもそうだけど、人が行かない崖のギリギリに立っている人はやっぱりカッコいいし、安全圏にいる人に心は動かないじゃない。 満足しちゃうと先には行けないから、不安は進歩するための要素なんです。 だから、不安に思ったら「不安タスティック!」と思って、「やったー!」って自分を洗脳しちゃえばいいんですよ。 ゆるキャラ、クソゲー……使うのはパソコンで検索できない言葉 ファミコンのころはゲームが好きで好きで大好きでね、ソフトは全部もっていたんじゃないかな。 でもつまらないゲームもあるから道端に捨てて、家の前が通学路だったから誰が拾うか部屋から見ていたの。 そしたら、誰にも拾ってもらえないゲームがあることに気がついた。 それを「クソゲーム」ってことにして、仲間を集めてクソゲームだけで遊ぶ大会なんかをやっていたんです。 そうしたらメーカーが怒ってね。 「クソゲームとは何だ!」って。 「ゆるキャラ」も同じで、「うちのはゆるくない」ってやっぱり怒られた(笑)。 「バカ映画」もそうだったな。 どれも最初はこんな感じなんだけど、自分の手を完全に離れたときから、価値観が変わることがあるんです。 僕が考えたときではなくて、皆が誤解して使って流通して、僕の手を離れてから流行する。 僕はパソコンを使わないけど、もってはいて、買ったころに思いついた言葉を検索してもらった。 当時は出てこない単語がいっぱいあって、その言葉は世界中で話題になってないわけでしょ。 もう、やる気マンマンになるわけですよ。 『アウトドア般若心経』(幻冬舎刊)もそうだけど、僕はそんな言葉を使ってきたんです。 般若心経の文字を看板の写真で表す『アウトドア般若心経』 10年くらい前かな、駐車場の前に「空アリ」って文字があって、僕は「くうあり」と呼んだわけ。 般若心経の真髄である空の教えが書いてあると。 空は何もない状態なのだけどそれがアリ、ないのにある。 別の駐車場では「空ナシ」もあって、こっちはないことがない。 難解でしょう。 それからカメラを片手に、「空アリ」と「空ナシ」の看板の写真を撮り続けていたんです。 そんなある日、有馬温泉に泊まって、夜に夢を見た。 夢に人が出てきて、井上陽水さんみたいな声で「なぜ全文を集めないの?」って聞くんだ。 まいった。 それは最初の撮影のときにひらめいたんだけど、「いくら何でもそれはキツいよ」って否定したから、その後ろめたさが原因だろうな。 思い立って翌朝は有馬温泉を回って、般若心経の文字を探したんだけど、そうそうあるわけじゃない。 で、般若心経の豆本を買って、看板を1文字撮ってはバツを付けていったわけ。 続けていくと、「無なら『無煙焼肉』だ」みたいに勘が働くようになるんだけど、「無」はかなり多く出てくる文字。 写真の流用はよくないと思っていたから、同じ文字を集めるのはつらかったね。 でも、それ以上に大変だったのは、通常では「確実に」使われない文字があるということ。 レインボーマンは阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)と言って軽く変身していたけど、「耨」の字がなくてね。 大阪のお寺の塔婆に書いてあるって聞いて行ったら、近松門左衛門の戒名の一文字だったりね(笑)。 「呪」もマイナスイメージの字じゃないですか。 店の名前に付けないわけですよ。 結局、兵庫県の町名にあるって聞いて撮りに行って、それでも足りないから『呪怨』(映画)の新作の上映を待って看板を撮った。 5年で278文字を撮影し、みうらじゅんが見たものとは 何年間も費やして思ったのは、やっている間は一瞬だけでも日常の悩みが消えること。 「夢中」というだけあって夢の中にいる、トリップしているんだよ。 経文を読むのも座禅を組むのも無の状態になるのが目的だけど、僕はストイックなことに向いていないから、「ホビー狂」としていい思いをしたと思う。 それに、気づかされたこともいっぱいあった。 本にする気はなかったんだけど、本になったら本当の般若心経に見えるじゃないですか。 バラバラのものがそろうと何かに見えるというのは般若心経の神髄だし、そもそもなかったものがそう見えているだけだということもわかった。 それって、万物が流転することをいち早く知る道なんだよね。 例えば、ここに並んでいる人形、僕は「フィギュ和」と呼んでいるんだけど、日本各地で買った人形なんです。 東京だと世田谷のボロ市なんかで買うしかないので、行ってみると、首の取れたような人形が段ボール箱に雑多に入ってる。 たぶん、どなたかが亡くなってご遺族が出したんだろうけど、遺族にとっては不要のものだったんだよ。 そして、僕が死んだらやっぱり遺族は「いらない」って言うから(笑)、同じように捨てられて誰かの手に渡る。 そして、いつかは土に帰っていく。 流転していくわけ。 つまり、コレクションをするのは万物流転を一瞬だけ止めた状態で、とても空しいことだというのがよくわかった。 今、いちばん興味があるのは「ゴムへび」(と思い込む) ゴムへび。 正月に台湾に行ったんですよ。 「台湾じゃないかな」と思って買いにね。 ガイドブックに載ってたおもちゃ屋の集まる街に行ったら、ホントにすごかった。 思わず大量買いしたら、おもちゃ屋が驚くわ喜ぶわで(笑)。 普通の人はゴムへびにひとつのイメージしかないと思うけど、大きく分けてもとぐろ型と自由形があって、多くの人のイメージはとぐろ型だよね。 手触りや質感もモノによって全然違うし、ゴムへびは重ねていると化学反応を起こして溶けるんだ。 ほら、そのオレンジのへびのしっぽのところ。 台湾で買ったのを同じバッグに入れてたら溶けちゃった。 ただ、ゴムへびには何の興味もなかった。 ある日、江の島だったかな、ゴムへびが売ってて、数千円もしたわけ。 子供の小遣いの領域も、大人な趣味の範疇も超えている値段だから、誰が買うんだろうと思って、僕が買うんだと思って買った。 3つくらい集めると世界観も出てくるし気になり始めるから、「勝手に観光協会」(スカパー!のEXエンタテイメントで放送中)で地方に行ったときには「へびセンター」に寄ったりしてね。 今でもゴムへびは好きじゃないけど、好きか嫌いかなんてどうでもいいことなんです。 だって、好きなことなんて向こうから飛び込んでこないじゃないですか。 あってもせいぜい高校時代までで、自分で好きだと思い込まないともう見つからないんです。 ゴム製のバッタはあるけど、ゴムバッタとは言わないでしょ。 ゴムとへび、これほど合っているものはないと、思い込もうとしているわけです(笑)。 仏像を好きになるのだって、つらい道のりだった 「興味のないことを好きになる!」って言い出したのは最近だけど、実はずっと前からそうなんです。 僕らの小さいころは怪獣ブームだったから、怪獣はもう大好きだった。 でも、その後の仏像(みうらさんの仏像好きは殊に有名)から怪しくて、どうも好きになろうと思った感じがするんです。 僕は小学校4年生から地元の京都や奈良、和歌山などのお寺を毎週末に訪ねていたのだけど、苔寺のように仏像のない寺にも行っていたからね。 仏像にしても、怪獣流れで千手観音のような異形のものが好きで、小観音なんかは苦手だった。 いとう(せいこう)さんと「TV見仏記」を始めたときも、小観音の前では絶句なわけです。 京都や奈良ではない地域に行っていて、ごく普通の小観音で、おまけにボロボロ。 カメラは回っているけど、どこを褒めていいのかさっぱりわからない。 好きになっていかないとどうしようもない。 今は仏像の全部が好きですけど、ここに来るまでは結構つらい道があったということです。 技術者たち、ニッポンの未来をよろしく エンジニアはモノを作る人でしょう。 僕はグッズをいくつも作ったし、デザイナーや開発の人とも話しているけど、彼らにいちばん感じるのは「こだわり」かな。 こだわりのある人って、ちょっとしたことにもこだわるよね。 だからいい製品が出来上がるし、逆にこだわっていないものには意味がないよ。 こないだ買った自転車がそうなんだけど、いい製品をもつと盗まれることが心配になっちゃう。 こだわったモノはほかの人も欲しくなるからね。 だから、こだわりの品は大事に扱うし、そうでないものはよくも悪くも大切にしなくて、取られても「また買えばいいや」と思ってしまう。 盗まれても自分は傷つかない。 盗まれていいモノを買うって変なんだけど、必要だから買っているわけで、もしかしたら人が傷つかないように、盗まれてもいいように作ってあるのかもしれないね。 ビニール傘なんて、愛着をもたれないようないい具合だから(笑)。 でも、これが本当に意図したことだったらやはり「こだわり」だから、素晴らしいことだと思うよね。 これからもエンジニアには、こだわりをもち続けてほしいね。 あと、僕なんかもそうなんだけど、彼らは「大雑把に言わないでよ」と思っているんじゃないかな。 世の中って、ものすごく大きなくくりで見られているわけです。 鉄道オタクにしても銀座線がめちゃくちゃ好きなヤツもいればSLには興味のないヤツもいると思うし、「面白い人が好きです」って言う女の子にも、聞けば好きなお笑いタレントが出てきて違いがあるわけ。 ハサミひとつにしても、使いやすいものや左利き用があったりと、千差万別でしょう。 「細かく分かれているから、一緒にしないでよ」と思っているような気がしますね。 最後に、エンジニアへの応援メッセージ う〜ん……結局、生きているのはヒマつぶしだからね。 つぶし方が面白いかつまらないかだけだからね。 きっとね、死ぬのって気持ちいいと思うんだ。 自殺する人が怒られるのは、おいしいショートケーキのイチゴを先に食べてしまうからなんだ。 パンケーキの部分もちゃんと食べなきゃダメ。 そして、楽しくヒマをつぶさなきゃ。 ほら、「俺、本業は仕事ですから」って言う人がいるじゃない。 違うって、人間の本業は子孫繁栄だから。 20歳そこそこで決めた仕事が本業のわけがないし、定年がある本業なんてないから。 皆もこのことには薄々気がついているんじゃないかな。 ただね、楽しいヒマつぶしは頑張らないとできないんだ。 だから、そこを頑張りましょう、かな。 みうらじゅんさんが全都道府県を行脚して収集した 100点以上の「フィギュ和」を載せた、 みうらじゅん責任編集『フィギュ和』(白夜書房)が発売中。 表紙の人形は、タイトル横の写真でみうらさんが手にしている逸品だ。 みうらじゅんさんと安齋肇さんのユニット「勝手に観光協会」 初のムック『勝手にじゃらん』(リクルートMOOK)が、 2月6日から2カ月間、首都圏、愛知県、大阪府などの地域限定で セブン-イレブンにて発売。 「勝手に観光協会」では初のツアーもスタートし、 2月19日の大阪を皮切りに名古屋、東京で開催予定。 いずれも詳しくは miurajun. net にアクセスを!•

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そこがいいんじゃない!みうらじゅんの映画批評大全1998‐2005 : みうらじゅん

みうらじゅん そこがいいんじゃない

スポンサードリンク これが「マイブーム」の基本のようですね。 一人で面白がれるようになったら素晴らしいですね。 と言いつつも、ネタフルでも一人で面白がっていることが多いのでしょうか。 基本的には一人きりで作業しているので、誰に相談することもなく、確かに一人で面白がっているかもしれません。 とはいえそれは「マイブーム」と呼ぶほどには広がらないし継続もしないのですが。 というところで「マイブーム」を起こす仕組みとして、みうらじゅん氏は次のように説明しています。 「ま、一人電通みたいなものですから。 たいがいがネタの持ち込みでしょ。 そりゃあ、編集部から『とんまつり、やりませんか?』と言ってくるはずがない(笑)。 そうなると、自分の媒体をいっぱい持っていて、そこで一斉に書くしかないんです(笑)。 これが、一人電通の作戦。 で、ある人とある人が出会ったとき、偶然にその話題が出るかもしれないんですよ。 するとブームが『マイ』から動き出すんです」 なるほど、一人電通。 自分が書ける媒体をたくさん持つメリットは「マイブーム」を広められることだったのか! さらに自分が興味のあるものは出尽くした感じなので、今後は「好きじゃないものを無理やり好きになっていくという運動」をしていくかもしれないらしいです。 凄いな、一人電通。 みうらじゅんとは、真面目におかしなことをやろうとしている人である。 ですね。 読む側も「みうらじゅん」を楽しむ、と。

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