さよなら だけ だっ た その 一 言 で 全て が わかっ た。 さよならに立ち向かうには?

中学生だった私の止まった時間が流れた日|sochatea|note

さよなら だけ だっ た その 一 言 で 全て が わかっ た

489715205。 QRコードと共に大きく書かれたそれに僕と友人ははて、と首を傾げた。 このような数字でなにがわかるというのだ。 新手のスパムみたいだな。 そう思った僕は大阪城のすぐそば、大きなホールの端の2階席でライブの開演を待っていた。 友人は付き添いで来てくれただけ、僕のとても「大好きだった」バンドを見に、確かめに来たのだ。 僕が中学2年くらいのことだと思う。 やたら遅い時間に流れるランキング形式の音楽番組。 寝付けなくてか愛してか、ぼんやりと見続けていた中、「今月のED」として流れてきたのが、フジファブリックだった。 テレビから流れる音に恋をした。 一番に好きになったポルノグラフィティはある意味パフォーマンスの強さもあった。 でもそのPVは楽器を演奏しているだけだった。 パフォーマンスなんかじゃない。 ナチュラルにそうなのだ。 ボーカルが大きな目をこちらにむけて、剥き出さんような勢いで、迫ってくるのだ。 懸命な演奏に宿るその目はただ美しかった。 僕はフジファブリックの音楽に恋をした。 高校生になって軽音楽部に入ったとき、フジファブリックが好きな友達はただ一人で、いつか好きなやつが集まったらやりたいなと笑った。 だからこそ、なんとなく眠れなかったクリスマスイブ、午前2時とか3時。 僕の携帯がふわ、と光り流れたニュース。 普段なら何も気にしないそれを、僕はえ、と声を上げて、すかさず彼に連絡したのだ。 「志村さん、死んだって」 遅い時間だったのにすごい早さでメールは返ってきた。 まじで?まあ志村なら自殺なのかな、と。 僕にとって志村正彦は教祖だった。 どの曲も、どの曲も、志村正彦の全てが、言葉では言い表せないくらい、胸がギュッと詰まる日常や特別な日、何気ない幸せの中の孤独や、官能的な美女のそれや、それに対して女々しいそれ。 独特の音やリズム、配置のセンス、全てが、すべてが愛すべき私の日常の音だった。 その日僕はなんだかぼうっとしたまま朝の六時くらいに倒れるように寝た。 次の日、喫茶店の私の家の新聞の片隅に、小さく写真と記事が載っているのを見た。 最後のシングルだった「Sugar!! 」はWBCの曲に起用された。 これからだった。 これからフジファブリックは大きいムーブメントになるはずだった。 フジファブリックは、僕の中で死んだ。 志村正彦の死の理由すらわからなかった。 毎日泣きながらSugar!! を口ずさむ僕は滑稽だったろう。 「全力ではしれ 上空に光る 星めがけ」。 何度も。 確かに彼は自ら死を選んでもおかしくないタイプだ。 でも、僕は友人の弁に納得いかなかった。 理由は2つある。 1つ目はこれだ。 この曲は、僕が、惚れた「茜色の夕日」という曲だ。 志村正彦は、生気が無いような、弱々しいような、けれどとても美しい瞳をしている。 「君のその小さな目から 大粒の涙が溢れてきたんだ」 画面でもわかる、大粒の涙を流しながら歌う志村正彦。 もっともっとやりたいことがあったはずだ。 そしてそれが「フジフジ富士Q」だったに違いない。 2010年、7月。 企画も発表されていた。 富士急ハイランドにはライブをする場所があるらしい。 そこで少年だった志村が見た奥田民生。 感銘を受け、ミュージシャンを志した志村正彦が、ここでライブをしたいと温めていたのだ。 やりたかったに違いない。 私のほうが悔しい。 なんだよキリストみたいに逝っちまいやがって。 と泣いた。 そのフジフジ富士Qも、開催されないだろうと言われてきた。 だが、それはなんとも予想外の形で行われることになる。 フジファブリックが大好きな、フジファブリックを愛する者たちが集まって、曲を歌ったのだ。 そこには僕はの大好きなTRICERATOPSの和田唱 現:上野樹里の旦那 やくるり、楽曲提供したパフィー、バイト先が一緒で志村が音楽をやめようとしたとき、じゃあその曲 茜色の夕日 を俺にくれとすら言ったという氣志團。 様々なメンバーが メレンゲとか斉藤和義とかポリシックスとか本当に熱くて書ききれない そして、そのなかには、奥田民生が、いた。 そして、彼が最初に歌ったのは、フジファブリックのデビュー曲だった。 これだけで涙腺崩壊ものだ。 それなのに畳み掛けるように皆が歌い、思いを述べ、また選曲までバッチリ合わせてあるのだ。 くるりの銀河とかメレンゲ クボ のとか和田唱のとかポリ ハヤシ のとか斉藤和義の笑ってサヨナラとか氣志團のとかもうほんとみんなの持ち味わかってんなやめてくれ今でも涙腺が。 あとスカパラはをoff vocalでやるのやめてマジで泣く。 そして、最後に、若者のすべてが志村正彦のボーカルで流れ、歌詞のように最後の花火が、上がった。 華々しくフジファブリックは終わった。 と思っていたのに。 2年後、フジファブリックは復活したのだ。 あの最高のシナリオを越えて。 ギターだった山内総一郎が歌って。 曲名は「徒然モノクローム」。 アニメのOPだったかで、過去のフジファブリックのオリコンチャートシングルでは2位の成績を記録。 僕は思っていた。 コイツらは何を考えているんだ?と。 確かに今まで他のメンバーだって曲を作ったり詞を書いていた。 だがこれはなんだ?ぴこぴこして、世間に媚びて、ほんのすこしのフジファブリックらしさを残して。 歌詞もそれっぽくして。 チョコドーナツってなに? 二番煎じの出がらしかよ。 そしてそれが、フジファブリックとして世間に受け入れられていくということ。 この音楽がフジファブリックだと。 山内が歌うのがフジファブリックだと。 元気にとびまわるフジファブリックが、フジファブリックだと。 僕の心に残ったのは激しい嫌悪感だった。 そして、 私はフジファブリックを捨てた。 自分のライブで演奏するのも昔の曲だけ。 なんにもわかっていない。 結局お前たちもフジを、志村を捨てるのか。 売れたいだけなのか。 悔しい。 僕が愛したフジファブリックはどこにもいない。 そうして時が過ぎた。 YouTubeのおすすめに、「」という曲が上がってきた。 アーティストは…フジファブリック。 僕はそのタイトルを注意深く、怪訝に眺める。 それは「誰への手紙」なんだ? そして、再生ボタンを押した。 さよならさえも 言えずに時は過ぎるけど 夢と紡いだ音は 忘れはしないよ もう何年も切れたままになった弦を 張り替えたら君とまた歌えそうな夕暮れ 泣いた。 そして、フジファブリックの音を感じた。 フジファブリックだけじゃない、3人の音も。 もしかしたら僕は、フジファブリックを自分で捨てて殺しただけかもしれない。 そう思っていたら、指が大阪城ホールへのチケットの抽選ボタンを押していた。 そしてそれは無事当選した。 志村正彦が生きている間に行けなかったライブに、フジファブリックのライブに。 お供にはあまりフジファブリックが好みでない友達で、僕がもし泣いたら寄り添ってくれる人を選んだ。 正直な意見が聞きたかったから。 そうして冒頭に戻る。 彼は興味がないなりに予習などしてきたらしく、殊勝な心掛けだと道中私がこれはやるだろうという曲をいくつかセレクトして聴かせた。 このセレクトの際にもとても驚きがあった。 僕もこのライブのためにいくつかこれはやるだろうと予想していた曲をいくつか、アルバムでかりたものだった。 そしてその曲を娘と一緒にPCに取り込みながら聴いていく。 ぼんやりと。 その曲たちは、端々に志村正彦が住み着いていた。 けれど、彼の二番煎じなどではない、粗削りながら彼らの曲だった。 何度となく歌詞の中に彼を彷彿とさせる節を見つける。 ぼんやり。 娘ははしゃぎ、踊る。 ああ、日々の生活の中に滲んでいくこの音楽。 フジファブリックだ。 彼のことを振り切ろうと、 志村正彦の曲がいいなんて、言わせないように。 「フジファブリック」の音楽がいいんだ。 と言わせるように…彼らの苦悩が沢山のリリックから、リズムから、楽器の演奏から、合わせから、伝わってくる。 この苦悩をどうして一緒に紡いでいけなかったのだろう。 僕にとってのフジファブリックは、志村正彦でしかなかった。 僕が見ていたのは、フジファブリックじゃなかったんだ。 僕は自分の勘違いに、彼らが苦悩して作り続けた、アルバムの数が増えるたび洗練されていくその音に、ただ涙することしかできなかった。 友人とお互いに予想を立てた。 きっとこれはやる、やらない… 二人の中で共通したたった一つの曲は、「若者のすべて」。 そんな話をしながら、メンバーによる注意事項を聞き、開演を待つ。 席は二階、ステージのほぼ真横。 モニターとキーボード…金澤ダイスケがよく見える位置。 照明がとん、と暗く落ち。 ステージにライトがついて、朱の…茜色の上着を羽織ったメンバーが現れる。 沸き起こる拍手。 ゆっくりと彼らは準備を始め、静寂が訪れた。 そして、小さく「せぇの」というように軽く山内総一郎がギターのヘッドを大事に、大事に振った瞬間。 僕は「理解」した。 今から何が演奏されるかを。 「嘘だ」と小さく口から声を漏らしてしまった。 きっと僕が涙を流し始めたのと演奏はほぼ同時だっただろう。 なんと、一曲目は「若者のすべて」だった。 最後の花火をあげると、きっとこの曲は最後だと信じてやまなかった。 とても丁寧な演奏だった。 にこやかで、穏やかな。 僕の中のフジファブリックがフラッシュバックしていく。 ああ、この曲の中の、最後のサビに向かう歌詞は 「すりむいたまま 僕はそっと歩き出して」 たぱたぱ、と涙は流れていく。 残ったメンバーにあった苦悩も、何も知らなかった僕も、リズムギターが足りないままのこの歪なように聞こえる「若者のすべて」も。 後ほど知ったことだが、どうやらフジファブリックは「若者のすべて」でミュージックステーションに出演していたそうだ。 それはとてもファンからすると泣ける演出だったという。 気になる人は調べてほしい。 僕も泣いた。 それから、いくつか曲が演奏されていく。 でもどの曲の中にもやはり「志村正彦」がいて、どこか志村正彦の音で、けれど、音楽は彼らが作りだした「フジファブリック」の音楽なのだ。 そして、どこかに彼をよぎらせるような、節を見つけては涙が止まらないのだ。 彼らが失った大切な存在を知っているからこそ、彼らが描くぼんやり過ぎる足元の脆い日常も、美しく真っ直ぐな愛情も、切ない別れも、鮮烈に切り取られた人生の輝く一瞬も。 すべてが尊く、美しい。 やっと止まった涙も、「星降る夜になったら」「バウムクーヘン」など演奏されてたまらずまた涙してしまう。 やっとのことで落ち着いてきたのは前半が終わるころだった。 見どころはたっぷりあって、書き連ねても足りないのに泣いてばかりで僕ときたらちっとも覚えていられない。 アコースティックも刺激的だったし、金澤ダイスケがギターを弾いたりして、リズムギターにサポートメンバーを入れないことも、鮮明でまた泣いて。 山内はMCに際し何度も志村の話をした。 ファンだってきっとそれを望んでいただろう。 その中で山内は言う。 「志村くんが死んでもフジファブリックはフジファブリックのままで、つまりこれはフジファブリックは死んでもなくならない、 フジファブリックは解散しないバンドってことなんです」と。 そして、言い切った。 「僕らは志村くんと一緒にステージに立って演奏している。 この隣で志村くんは歌っている。 初心を忘れず頑張っていきたい、と締めくくると同時に演奏されたそれは 「桜の季節」だ。 明らかに物足りない、リズムギターの音がぽっかりと空いたその曲の中。 僕は志村正彦の声を、ギターを、聴いていた。 そして彼らは笑っていた。 「桜の季節」、「会いに」と「破顔」で締めくくられたアンコール。 (大変納得のいく選曲だった。 これ以上泣かせないでほしい。 ) 桜の季節の前に、山内は一人でアンコールに現れた。 そして、色々と話をした。 自分たちのファンがお子さんを生んで、そのお子さんがファンになってくれること。 (なんと手紙まで送り、プレミアムシートで見ていた!!これは凄いことだ) 沢山のことがありがたくて、何かを返したい、プレゼントを、と考えていると、「人は皆、その存在が誰かにとっての「プレゼント」なのではないかと思った」といい、新曲を披露してくれた。 曲名はプレゼント。 今できたばかりだから、とメトロノームを取り出す彼。 かち、こち、と正確に刻まれるリズム。 これ、時計の秒針みたいでよくないですか?と軽く笑った。 そうして歌った歌は、私が聴いたフジファブリックの歌で最も優しい歌だった。 そして彼は言う。 「皆さん、チラシの中に、数字が書かれたQRコードが入っていたと思うんですけど。 これ、何の数字かわかる人いますか?」 だれも手をあげない。 「よかったあ、いたらどうしようかと思った。 」と彼は笑い、「これは、フジファブリックができてから、今日までの秒数なんです」といった。 (QRコードからいつでもきけるから、聴いてね、と。 ) 489715205。 QRコードと共に大きく書かれたそれに僕は涙した。 この時間のどれだけを、僕はフジファブリックと過ごしたのだろう。 中学校の頃から大好きだった、この美しい生命の瞬間を切り取るバンドに。 この時間のどれだけを、僕は切り取ってしまったのだろう。 そして、思う。 また、ライブに行きたいな、と。 最後の礼、志村正彦が、横で手をつないで深々と下げているのが、見えた。 帰って、そっと眠る前一人で聴いた「プレゼント」。 私も今も誰かのプレゼントなんだろうか。 私にとってそれはわからないけれど。 それでも生命の瞬間を切り取るこのバンドに、恋をせずにはいられないのだ。 これからも時に気怠く、時に凛と、時に切なく。 人の感情の数だけフジファブリックは続く。 僕はフジファブリックの音楽に恋をした。 中学生の頃からの針を、また進めた僕から、愛しい音楽へ、愛をこめて。

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『さよなら、ニルヴァーナ』(窪美澄)の感想(195レビュー)

さよなら だけ だっ た その 一 言 で 全て が わかっ た

アニソン業界で注目の作家がいる、草野華余子。 彼女は作家ともう一つ、シンガーソングライターとしての顔もある。 2月25日に配信限定シングルとして「最後のページは開かずに」をリリースした草野華余子は、作家とシンガーソングライターの2つの顔をどう使い分け、どう感じてもらいたいのだろうか? その思いを聞き出すべく、SPICEではインタビューを敢行した。 聞き手は以前草野と同じ事務所「ultraCeep(ウルトラシープ)」に所属していたSPICEアニメ・ゲーム編集長加東岳史。 シンガーソングライターと作詞・作曲家では、どちらが肩書として前になるのでしょうか? シンガーソングライターですね。 どっちも、って言うとあれなんですけど。 私は50:50じゃなくて、シンガーソングライター100、作詞作曲家としても100っていう気持ちでやってるので。 どっち? って言われても、どっちも全力です、っていうのがポリシーです。 自分が音楽を始めたきっかけはシンガーソングライターだし、自分の名前を大きく世の中に広めてくれたのは作家としての自分だし。 この二つが最初は分断されてて苦しかった時期もあったんですけど、「いま私から生まれる音楽はすべて私だ」っていう確証みたいなものが去年得られたので。 5歳ぐらいのときに、妹とぬいぐるみを、それぞれ6体ずつ持ってて、「Mステの階段から下りてくる」っていうの(遊びで)やってたんですよ。 「そうやってるときに、「お姉ちゃん、これ曲が無いと成り立たへん」って言われて。 「何言ってんだこいつ!? 」って思ったんですけど、(合計)12体のぬいぐるみに、1曲ずつ楽曲を提供したんですよ。 妹もすごくバンドが好きだったり、音楽をよく知ってるんですけど、彼女が私の作曲したものを聴いて、「天才だ!」って言ってくれたのが嬉しくて、そこから10年近くずっと妹のためだけに曲を書いてました。 いないですね! だから、(妹が)「いつになったら私に印税のマージン入ってくんの?」って、最近(笑)。 「誰が渡すか!」って言いながら。 でも向いてないわと思って。 ベースライン弾きながら歌うのムズイ、ってなって辞めました(笑)。 その後はギターボーカルで。 時期的にアヴリル・ラヴィーンだったり、椎名林檎さんだったり。 岡北有由さん、天野月子さん、矢野まきさん。 アラニス・モリセット、シェリル・クロウ、海外も日本も関係なく、いろいろコピーバンドを4年間してました。 就職するかどうかっていう問題になったときに、Limetone Audio エフェクターのブランド の今西勇仁さんと、元ゲームフリークでポケモンシリーズなどの作曲を手がける景山将太さんの二人組のユニットがあったんですよ。 彼らが関西大学の軽音楽部にいて。 楽曲を歌ってくれる人を探していて。 私もそのころ成人式の着物のお金でMTRを買って(笑)。 そう、成人式にも行かずに曲を作り始めたんです(笑)。 で、初めてマルチトラックで曲を作ったものを今西さんに聴かせたんですよ。 そしたら、「カヨちゃんこれ、絶対どっか出しなさい」って言ってくれて。 当時の東芝EMIとか、ソニーミュージックのオーディションに出したりとかしたんです、そうすると一次審査は受かるんですよ。 まあ演奏力も無かったし……。 その時に「この曲書けるんだったら、本当にいろんな人に伝わると思うから、歌っていった方がいい」って先輩に言われたんですよ、それで私、就活を辞めたんです。 スパッと辞めました。 その瞬間ぐらいですかね、私はいつか音楽で飯を食えるんだっていう、無謀な夢というか、確証のような、妄想のような気持ちが芽生えたんです。 自分から何かを決めたりっていうのがすごく苦手なタイプなので、人に求められることが好きなんですよね。 愛されたいって思ってるかもしれない。 でも愛されたいって素直に言えないから、先に愛そうってする、みたいな(笑)。 もちろんです。 もともとLiSAさんは、アニメ『Angel Beats! 』の劇中バンドのボーカリストを担当していたころからすごくファンで。 彼女が、今と比べたら割と小さ目のキャパのところでライブしているときに、自分で 買って観に行ったりしてたんですよ。 私はガチのアニオタだし、コスプレやってたし、同人誌描いてたし(笑)。 いまだにやっぱりコミケも行くし。 だからアニメのコンテンツ自体への理解とかもあると思うんです。 そういうところで共通の知り合いの方が、LiSAさんの当時のディレクターの岡村弦さんに「アニメが好きで良い曲が書ける子がいる」って紹介してくださって。 そこで岡村さんが「ちょっとLiSAに合いそうな曲書いてみてよ」って。 わたしの相当荒削りなデモ音源を聴いて、色々と感じ取ってくださってたみたいで。 そのときに何曲か書いて持って行って、そのうちの一曲がLiSAさんに初めて提供した楽曲「DOCTOR」です。 当時電車がまだよくわかってなくて、ぜんぜん違う場所に出ちゃって、ちょっと遅れてしまったんですよ。 初めてメジャーのお仕事させていただくのに遅れたから、周りの人にすごく怒られて本当に落ち込んでしまって、廊下でずっと下向いてたときに、初対面のLiSAちゃんがバッて来て、背中をポンポンとしながら、「こういうこともあるよね。 いい曲ありがとう」って言ってくれたから、私、その瞬間、「この人のために死ぬまでいい曲を書き続けよう」と思ったんですね。 それが2012年。 ずっと音楽に真正面から向き合うのがすごく怖かったけど、LiSAちゃんに曲を書かせてもらえるかもしれないって思ったときに作った「DOCTOR」っていう曲は、「助けてお医者さん!」みたいな感じのテーマなんですけど、私誰かに助けて欲しいと思いながらあのメロディを書いていたんですよ。 LiSAちゃんに出会って、音楽の楽しさとかを思い出させてもらった。 本当に彼女に出会ってなかったら辞めてたんで。 辞めようって思ってました、本当に。 ライヴ活動も完全に休止しているタイミングで。 それを見かねた、奈良のMORGっていう有名なスタジオの、門垣(良則)さんっていうエンジニアさんが「お前は音楽やっていくべきやから!」って言ってくれたんですね。 その人も私のキーマンになってます。 「運命力」って最近言ってるんですけど、私すごい「運命力」強いんですよ。 LiSAちゃんだけじゃなくて、ichigoさんや岸田さん(共に岸田教団&THE明星ロケッツ)、分島(花音)と出会ったときも感じたんですけど。 つながってる人たちは、出会った瞬間から何かがある。 甘え下手なんですけど、助けてくれる人がいるというか。 中学、高校ぐらいでいじめられてたからですかね、けっこう人の顔色伺ったりとか。 あと、「相手が求める自分」にならないと必要とされないんじゃないかなって思ってしまうところがあって。 カヨコって名前で活動してたときは、弱い自分じゃなくて、もう一人の関西の肝っ玉姉ちゃんみたいな感じ。 みんなが「カヨコ姉さん」って言ってくれるキャラ像を作っておくと、いじめられない、嫌われないで済むって思ってたんですよ。 だけど、そのカヨコと普段の私が一個になり始めて。 そうですね、ありがたいです。 一昨年から去年くらい、悩んだんです。 それで一旦ライヴ活動を止めたのもあるんですよ、やっぱり混乱してたんですよね。 でも、以前所属していたultraCeepのプロデューサーに「なりたいものとなれるものは違う時もあるんだよ。 才能あるシンガーソングライターがいるとするよね。 その人が歌だけで頑張っていくのと、楽曲を提供できるレベルでメロディが良くて作家をやって、てっぺんの旗を取ってから本人が歌うっていうのは、どう違うの?」って言われたことがあったんです。 なるほどな!と思ったんですよね。 じゃあ今何がやりたいかって思ったときに、作曲がしたいと思ったんです。 去年1年間本当にそれを突き詰めて、いつでも最高の曲が出せるように書き貯めたんです。 その時に、ライヴから最高の刺激もらってるのに、ライヴやらないのは駄目だなとも思えた。 アリーナクラスの会場で、自分の曲で盛り上がる人たちを散々何回も見てきて、感動して鳥肌が立って泣いたりする。 それと同時にライヴをして、自分が目の前の200~300人のために歌うのも感動する。 でもこれって、どっちも最高の感動で、種類が違うって気づいたんです。 私が持っていけない場所まで楽曲を持って行ってもらっているという感動と、自分がやって、やっと届けられた200~300人への1曲っていうのって、また違う感動。 私もやっぱり商業音楽をする上で、一人でも多くの人に聴いてもらうというポリシーで作詞作曲に当たっているんですけど、その傍ら、自分が本当に作りたいものとか、気持ちいいと思うものを出し続けないと、自分が枯渇するって思ったんです。 作り続けることが私のインプットだっていうことにやっと気づけたんですね。 どっちも全力でやってないとだめになる。 そこに対してシンガー草野華余子はジェラシーみたいなものはまったく無い? ぜんぜん嫉妬しない。 だって、私より凄いと思ってるから。 ……いや全くそういう時期はなかったと言ったら嘘だけど、30過ぎてからすごくフラットになりましたね。 アーティスト草野華余子を見たときに、プロデューサーの目線の自分もいるから、「お前の実力だとこんなもんだよ」って、もうわかってるんですね。 諦めじゃないんですよ、受け入れてしまう。 それを言われて「悔しい」と思う気持ちはもちろんあるけど、それをどうやったら良くなるだろうって作家・プロデューサー脳の私と、シンガーの私が今相談してくれてる。 だからぜんぜん健康的なんですよね。 すると思う。 私はもう20代はずっと止まってました。 立ち止まって悔しくて、見たくない人のTwitterミュートしたりとか、ホームページを更新できなくなったりとか。 ライヴで10人しか呼べなかったって言って泣いたりとか、ずっとしてたけど。 ultraCeepの会議室で、「お前はじゃあ、何がやりたいの? 何になりたいの?」って言われたときに、「こうなりたいです」って言ったときに、「そんなにちっちゃい夢、一緒に追いかけられない」って言われたんですよ。 それこそ1000キャパを埋めたいとか、アニメのタイアップを歌いたいとかっていう夢を語ったんですけど。 「そうじゃなくて、どうなりたいのっていうところとかって、ハッキリしないんだったら、お前もう、シンガーソングライター趣味でやれば」って言われたんですよ。 で、「ツラーーーい!」って思って(笑)。 「じゃあ今お前は、何で社会に求められて、何を生業としているの?」って言われたときに、「私は作家が仕事なのに、変なプライドとか凝り固まった考え方や、悔しいっていう感情だけで自分の活動範囲を狭めているわ」と気づいて。 あ、わかった、私、ライフワークをシンガーソングライターにしようと思ったんです。 自然とあるもの、朝起きて歯を磨くように、私はシンガーソングライターです、仕事じゃありませんが、そこはすべてライフワーク、自分の一部ですって考え方に変えたんです。 で、お仕事は作家です。 でもそれもめっちゃ楽しんで全力でやります!って切り替えた瞬間に、私はライフワークとして1000人~2000人集められるシンガーソングライターを目指そう。 作家としては日本一の作家になろう、って決めたんです。 やっぱり今皆さんが訊きたいのは「紅蓮華」の話だと思うんですよ。 どうしたって(笑)。 そうですね、ありがたいですね。 その曲に、自分の名前の漢字一文字(華)が入っているのもすごく嬉しかったし、「紅」って入ってるから紅白決まるんじゃないかな、って4月の段階で思ってて(笑)。 決まったときにどこか「あ、やっぱり」って! 去年のLiSAちゃんの頑張りだったり、『鬼滅の刃』という作品の人気だったり素晴らしさだったりで、「あ、これLiSAちゃんが出ない紅白はイメージできないな」って思ってました。 アニメが素晴らしいし、原作も最高だし。 主題歌もめちゃくちゃ頑張ってみんなで作って、1ミリもスキを突く場所が無かったんですよ。 何か、血が滲んだ曲だなと思ったんですよ……。 よくわかってくれてる(笑)。 本当に、めっちゃ苦しみながら書きましたね。 何回も書き直した部分とかもあったし、編曲の堀江晶太君と、シンガロングの部分とか、彼がかなりアドバイスしてくれて。 シンガロングの元ネタは晶太君が作ってくれたんですけど。 私とチームの人がすごく魂込めた一曲なんです。 テーマが「固い意志」だから、ガンとしたもの作ろうっていう思いが凄くあった。 パッと聴いた印象として「ADAMAS」は滅茶苦茶強いアニソンなんですよ。 でも「紅蓮華」は歌謡曲だなと思ったんです。 そう思えたから、街中で流れて違和感が無いんだなと。 そう、そうだと思う。 本来、LiSAちゃんも私も好きだったものを作ろうっていう感じでした。 私はアニソンも大好きだし、LiSAちゃんもアニソンのこと本当に勉強してて、それで最高の状態までアニメにリスペクトを持って作ろうってしたのが「ADAMAS」だったんです。 で、純粋にLiSAを代表する曲として、アニメの映像や絵があろうがなかろうが、素晴らしいなと思える曲を作ろうっていう。 割とそこは根っこにありますね。 『鬼滅の刃』が紹介されるときはほぼバックに流れてるじゃないですか。 でも例えば朝のワイドショーとかで「ADAMAS」が流れたら、僕は若干違和感を感じたかもしれない。 アニソンがめっちゃ流れてるな、と思ってしまう。 今回の「紅蓮華」は、私の要素を薄めて、ポップスの方向に皆で私をいざなってくれたと言うか。 元々はこれ、オケもサイズも決まってたんですよ。 だからLiSAチームの皆さんが、「こういう楽曲が欲しいね、メロディを華余子にお願いしよう」っていう形で作ったものだったので。 いつもより草野華余子の濃度は薄いかもしれない。 頑張らないときも聴けるし、頑張りたいときも聴ける、朝でも夜でも聴けると思いました。 「ADAMAS」は多分、本当に頑張りたいときに聴きたい曲だと思うんです。 私が楽曲提供するものって多分、そういうニュアンスが多くて(笑)。 草野華余子が歌う楽曲に関しては、逆なんですよね。 私の曲は、隣に座って肩叩きながら、「辛いよな、辛いこともあるよな。 わかる、私もそういうのある」っていう共感性の強さが私の曲の持ち味だと思っていて。 でも楽曲提供するときは作品やアーティストにリスペクトを持って作るから、その人の強さとかが出てくる。 行く、と言うか、可能性を包括した楽曲ではあるなとは思ってました。 そうですね。 根拠あるようで無いような「運命力」ですね。 ピアノ&ストリングスアレンジメントのうたたね歌菜ちゃんは、Tom-H ck(トム-ハック)さんのTaWaRaの事務所の素晴らしいソングライターなんですけど。 特にクラシックで私とフィーリングが合うんです。 このチームって、岸田教団の『天鏡のアルデラミン』のMVと共に爆発したultraCeepの欠片集めてますからね、私(爆笑)。 こう来たか、と。 この曲、大阪のワンマン、1月24日の前々日ぐらいに歌詞が上がったんですよ。 最初、最後のサビの歌詞が「巡り巡る奇跡であなたに出逢えたから 伝えたい言葉はそう ありがとう」だったんですよ。 それを大阪と名古屋で歌ったときに「何で私、ありがとうって思えてもいないのに、ありがとうって歌ってるんだろう。 ありがとうって、曲終わらせたいだけじゃん。 納得したって思い込みたいだけじゃん」と思って。 「そっか、私は、このストーリーを最後まで読めないことをまだ許せてなかったんだ」って思ったんです。 だけど次に歩き出そうって思うとき何しなきゃいけないかって言うと、相手にさよなら告げるんじゃなくて、私が物語自体にさよならを告げなきゃいけないんだなって。 だから「あなたを失って初めて気づいた、この何気ない日々が奇跡だったっていうことに気付かされた。 それだけでもいいじゃん。 その大事な本を胸に仕舞って、歩き出そう。 最後のページはもう開かないよ。 今さよならを告げよう」になったんです。 ライヴの中でお客さんの反応とか見たり、自分で歌っているときの自分の感情の揺れとかを見ながら歌詞を直せたんです。 岸田さんのミックスがね(笑)。 これは、私のJ-POPっぽさと、シンガーとしてのロックさの、ちょうど融合。 クロスフェードするポイントなんですよ。 それをうたたねちゃんと私のメロディや、歌詞は割と女性的でJ-POPだけど、晶太君とみっちゃんのドラム、岸田さんのミックスのロック感がうまく混ざり合ったものになったっていう。 たぶん「ADAMAS」以前と、「紅蓮華」以降でめっちゃ変わってますね。 東京に来て6年経ってから、感じることとか、書きたいものが変わってきたのかも。 ここにいることの大事さや、自然体の自分みたいなことを書いてる印象があって。 それを見せるのはけっこう勇気がいると思うんですよね。 停滞と言うよりは立ち止まってても、後ろ向いてても、無理矢理ガツガツしてても、時間は同じ速度で流れるから。 受け入れている曲、ですかね。 そうかも(笑)。 でも変わりたくて変わったもの、変わりたくないのに変わってしまったものとかぜんぶ差し引いたときに最後に残るのって、自分の本質だから。 それを許せないって思わずに、ちゃんと受け止めて、許容して、容認して進んでいくしかないんですよね。 でもいろんなことがあって、着ていた鎧を一枚ずつはがして残ったのがこれって感じですね。 去年は1年間でそれをはがす作業と言うか。 髪の毛切ったのとかもそうだったかも。 何か男らしい言葉で、髪の毛長くて、ワンピースやドレスを着て歌ってたけど、去年、髪の毛切ってスーツで歌うようになって、「僕」とか「俺」って言わなくなったんです。 いろんな人に出逢う中で摩擦が起きて、転がる石のように丸くなってきて、最後に残ったものが、このクラシカルな感性だったんだなと思います。 タイトルが、『愛されたかったあの日の僕らへ』っていう……また何か、非常に重たいものを感じるタイトルですが、何でこのタイトルに? 本当は、私は「愛したい」ってずっと歌ってきてたような錯覚があったんですけど。 何で私はこんなに人のことを愛すんだろうと思ったら、結局、愛されたかっただけなんだということに気付いて、それを受け入れられたんですよ。 だから今回、ライヴのテーマも、7月に出す初めてのCDのテーマも「受け入れる」ですね。 「君の為に歌うよ」とか、「君の未来を照らすよ」って、逆説的に、押し付けなんですよ。 黙って傍にいるんじゃなくて、お節介なんですよね。 何かやってあげるよ、これしてあげるよっていう。 そうじゃなくて、ただそこにいてくれたらいいよ、私はこれがやりたいからこれをするよ、っていう淡々としたフラットな感情が出てきた感じかな。 今回のこの草野華余子のライヴで言うと、どんなセトリなんだろう、何歌うんだろう?より、どういう空間にどういう音が鳴るのかっていうのが気になるというか。 どう転んでも、その日に一番合っているものとか、自分やみんながその瞬間必要としているものが出せるんじゃないかなって思ってますね。 このライブは、私は、作家の草野華余子を、シンガーの草野華余子が超えなきゃいけないスタートラインなんです。 その場の空気だったり、そのときに発する自分のニュアンスだったりにすごく神経を注ぐライヴになると思います。 もちろんです。 でも知ってもらうためにキャッチーなものを書くとか、やりたくないことをするっていうのは1ミリも無くて。 しなきゃいけないものをシンプルに、その時、その瞬間を捉えてやっていく、っていう感覚ですね。 わはは!(笑) この数年で色々あったし、考えたから(笑)。 まあ、長い人生、いつまで命があるかわからない中で、私に触れてくださったからには、何か心に一滴、波紋を与えるような楽曲を書いていきたいなと思っています。 それはシンガーソングライターとしてでも、作家としてでも、どの部分を切り取って好きになっていただいても、もうそれが私の一部だから、出会ってくれてありがたいな、っていうことを伝えたいですね。 後期 彼女と出会ってそれなりの年月が経ったが、出会ったときの草野華余子はもっと尖った女性だった。 陽気で豪快で、それでいて傷つきやすかったカヨコは名曲をたくさん産み、それに伴ってしなやかな女性に進化した。 生み出した音楽によって自分を見つめ直し、それが自らの歌としてまた音楽になる。 まるでPAミキサーのように環境を取り入れ、発信していく彼女から生まれる音楽は、また僕たちの心を掴む。 SPICEアニメ・ゲームジャンル編集長 加東岳史 インタビュー・文:加東岳史 撮影:荒川潤 SPICE編集部• twitter:• 株式会社ウルトラシープ所属のクリエイターとして 文筆業なども行っております。 元々アニメやゲームのサブカルチャーが好きでしたが、それ以上にエンターテイメントが大好きということに気がついてしまいました。 アニソンRemixを中心としたオールジャンルのDJもしていたり、色々なエンタメに貪欲に首を突っ込んでいます。 『面白いものを自分が体験したように感じられる記事』を書けるように日々精進。 多忙な中にも楽しみを忘れないように生きております。 その他の画像.

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さよなら だけ だっ た その 一 言 で 全て が わかっ た

友人から突然の決別宣言を受けました・・・。 私はその友人のことが人としてとても好きでした。 ただそこから付き合うとか、そういった流れに流された関係を目指していたわけではありません。 お互いに付き合っている人がいて、いくら好意を持っていたと言っても、恋人になって欲しい存在とは全く違う感情だったからです。 だからといって、その関係を美化するつもりもありません。 お互いを人として大事に思い合えている関係だと出会ってからずっと話してきたし、そう信じてきました。 今となっては、私だけが一方的にそんな関係に酔っていたか・・、一方的に信じていただけだったのか・・と思ったりしています。 正直、唖然としてしまいました。 でも、ずっと友達でいてよ!と泣きつくのはどこか違うような気がするし、それが彼の決断であれば、友人っていうのはただの都合のいい言葉に過ぎず、なんだか得体のよくわからない関係だったのかもしれないとも思いました。 ただ突然すぎたさよならとどう立ち向かえばいいのかわからず・・・本当の理由は友人にしかわからないし、嫌われたというか、絶交というのか・・・その理由を今更聞いても何も解決しない事もわかってます。 まして恋人同士でもないのですから、取り乱すのもおかしい。 けれどもどこかで悲しいというか、ふと立ち止まって考えてしまう自分もいます、なぜ?と。 こういった関係を不愉快に思う方もいらっしゃると思いますし、意見は様々だと思いますが、アドバイスを頂戴出来ればと思います。 こんにちは。 私の場合は、質問者様と実は逆の立場で半年前位に親友の男友達に、「彼に疑われたくないから2人で会ったりするのは止めたい」と言ってしまいました。 私の場合は自分の彼と遠距離だったので余計に心配をかけたくなくてかつてその親友と過去何かあったのかと疑われた事もあったので変な誤解を生む事はしないでおこうとの決意からでした。 親友の方は結構傷ついたようで、彼は結婚しても私と会う時間を作って昔と変らないようにしてくれていたのですが・・・ でも最近私が彼氏と別れて友人に恐る恐る都合よすぎるかなと思ってメールしてみたら「おかえり」というタイトルで返事がきました。 だから質問者様もちょっとここは距離を置いてみて下さい。 その彼の真意がよく分からないので彼女に言われてそんな宣言をしたのかどうかって所ですが、その彼との友情が大事な物だったらまた友情は復活しますよ。 質問者様が、自信を失くしたり落胆したりする必要は全く無いと思うんです。 大切な経験を話してくださりありがとうございます。 逆のお立場での発言という過去をお持ちのようですが、色々考えられての決断、という事でお友達に伝えられたのですよね・・・・そう考えると、私の友人からのさよならも行き当たりばったりで言った言葉ではなく、きちんと考えた末での言葉だったのかなと思うべきかなとふと思いました。 でもやはりmactan11さんがおっしゃっているように、真意はよくわからないですけれども、正直・・・。 おかえり、と言ってくれたmactan11さんの友人もきっと素直にうれしかったのだと思います。 友人は友人としてずっと待っていてくれたのかもしれませんね、また普通に話して笑ったりする日を。 私も友人との友情が大事なものだったと信じたいのですが、今はまだそれを信じる勇気がないんです。 こうやって何度も大事な友人(男女問わず)を失っていくことが起こるんだろうかって思うと、強く前が向けない弱くて情けない人間です・・・ ご回答下さり、本当にありがとうございました。 とっても参考になりました。 質問者さんと相手の方の気持ちにズレがあったのかな? 質問者さんは友達として変わらぬ友情で付き合っていたのかも知れないけれど、相手の方はそうではなかったのでしょうね。 彼女から何か言われたのかも知れませんね。 ひょとしたら、相手の方は、質問者さんの言動から自分に対する愛を感じたのかも知れません。 (質問者さんは意識していなくても) 彼女もいることだし、ここでハッキリさせていた方がいいと思われたのかもしれません。 男というものは、どこか薄情なところがあるものですから。 いずれにしても突然「さよなら」を言われたのは、ショックだったでしょうね。 「なぜ?」「友達をやめるってどういうこと?」など???がいっぱい頭を巡ったことと思います。 でも、ここで相手になぜと問うよりも「さよなら」を受け入れた方がいいと思います。 そのために「さよなら」はあるのですから。 そして「さよなら」は突然「こんにちは 久しぶり」に変わるかも知れませんから。 そこで「さよなら」を言われた質問者さんに、寺山修司の詩をご紹介いたしましょう。 ブリジット・バルドーの美容法は「さよなら」の言い方にある。 さよならを言うたびに(言われるたびに)少しずつきれいになっていくという。 さよならを深刻に考える人もいるが、別れない同士では「再会」の感激をあじわうことができないではありませんか。 朝のさよならは、舌に残ったタバコの味だ。 モーニング・コーヒーのカップに沈んだ砂糖。 そしてなんとなく名残惜しく、そのくせ少しばかりの自己嫌悪がともなう。 昼のさよならは、笑顔でできる。 すぐまた逢えるような気がする。 だが、一番はっきりと二人をへだてるのは昼のさよならである。 涙は日が沈んでからゆっくりとあふれでる。 夕方のさよならは、一匙のココアだ。 甘ったるくそのくせにがい。 夕方のさよならはお互いの顔を見ないで、たとえば空を見たりすることがある。 だから夕焼けの赤さだけが心にのこるのである。 夜のさよならは愛と同じくらい重たい。 人たちが皆抱き合っている時間の「さよなら」はとてもつらいことである。 だが、そのつらさがドラマチックな気分にしてくれるのだ。 「さよなら」を言われた心が少し軽くなりませんでしたか? 「さよなら」の言葉を素直に受け止めて、空などをポカ~ンと眺めて深呼吸などして、今、お付き合いしている方と、元気に歩きはじめてください。 ご丁寧な回答をくださり、本当にありがとうございました。 私の方が色々と混同してしまっていた部分があったのだと思います。 だからこそ、ズレが生じて結局、友人を悩ませる結果にいたりさよならに至ったのかもしれません。 書いて下さった詩にあわせるなら、私のもらったさよならはお昼の事でした、はっきりと隔てるさよならだったのだな、と思います。 なぜ?と問いただしたりするのは私もどこか違う事だとわかっているのですが、納得がいかないということは、結局のところ友情が愛情にどこか混同してしまっていたからなのかなとも思います。 色んな愚痴や思いや、色んな話を拒否せずにいつも聞いてくれるのが彼だったので、拒否されないから大丈夫とおごった考えになっていたのかもしれません。 色々な方のアドバイスを聞き、自分でもおかしな感情になっていたのだなと改めて反省しています。 大事にするべき人は決まっていたはずなのに、私は最低な行いをしていたのだろうかとも思います。 自己嫌悪ですね・・・・ 本当にありがとうございました。 男女の友情は永遠の課題ですね。 あるひと時だけうまく行っていても、そのような環境や状況の変化で別れたり距離を置かれたりする事もあるかと思います。 そして友人と思っていても時には異性を見るような心情は彼の中に合ったのだと思います。 彼女が出来た事でその想いにきづき、はっきりさせなくては、と思ったのかもしれません。 最後の言葉を入れて「彼」だったので残念ですが仕方ありません。 価値観が会う異性というのは同性の友人とは違った魅力があると思いますが双方の努力プラス彼氏、彼女に理解がないと難しいですね。 彼の表現は貴方を傷つけてしまいましたが出会いがあれば別れもあって当然と達観する事をお勧めします。 友情と異性に対しての愛情は別物という括りは出来ません。 とてもよく似ているし感情は次々に変わって行く物だと思います。 嫌われたのではないでしょうね。 彼側の都合なので傷つくことはありません。 傷つく必要はないのでしょうか・・・?私は相手に対する信頼や好意を友人といいつつ実は押し付けた形になってしまい、彼に少しずつ迷惑をかけていたのだろうかと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいです。 確かに最後の言葉を全て含めて、友人らしいなと言えば友人らしかったかもしれません。 別れはどういう形であれ、いずれ来るものだとどこかで理解していたつもりですが、未熟者過ぎて全然準備ができていなかったようで、今後も達観する事まで行き着けるかどうか、正直不安はあります。 でも友情と愛情とは何か、自分にとって本当に大事な人への思いを混同していなかったか、考えるいいきっかけになっていることは確かだと思います。 ご回答くださり、本当にありがとうございました。 感謝の気持ちでいっぱいです。 あなたが下心がなくて、もし彼に下心がなかったとしても、彼の恋人からすれば心穏やかではいられないものです。 なぜなら、男女である以上いつどこで友情が愛情に変わってしまうか、それはないという保証はどこにもないからです。 個人的経験ですが、男女の友情ってのは、実際のところは片方が「恋人としては思えない」と結構冷めていて、もう一方が「実は好き」ってパターンが多いです。 今回も、実はあなたが彼のことが好きだったわけですよね。 男女間で友情が成立しうる例はあるにはあります。 それは、何人かの複数によるグループでの交友関係のときです。 私には何人か異性の友人がいますが、みんなそういうグループでの交際で、会うときはみんなで会います。 決して1対1では会いません。 それが男女間で友情を成立させるコツです。 noname009さんこんばんは。 大好きな友人に突然さよならを言われるなんてつらいですね。 お気持ちお察し致します。。 私にはお二人がどういう関係かはわかりませんが、 友達以上恋人未満みたいな関係だったんですかね? いろんなとこ行ったり、同じ趣味で楽しんだりってとこでしょうか? 一つ考えられるのは、そのご友人の彼女に嫉妬されて、とりあえず彼が誠意を見せる為にそうしたとか?? もうひとつは、実はあなたはその彼が深層心理で好きで、それを見透かされてやんわり断られたか.. 私には男友達も沢山いますが、やっぱ、好きになれないなってこととかわかってもらえてるっていうか、私には彼氏がいるので、一緒に遊んでも二人で出かけても、気まずくなることってないんですけど、 うーん、なんなんでしょうかね? どのみち決別宣言されてしまったなら、メールや電話等ではなく、 直接対面して理由を聞くなり話し合った方がいいのでは? 以外にきつくでもはっきり言われた方がすっきりしますよ。 私は友達からではないですが、好きになった人から、 すっごいきついことをいっぱい言われてだめなんだなぁって納得したことがありましたし、そこが自分の欠点でもあったので、これからの人生で直そうくらいまで考えることが出来ました。 納得できないなら話あうことをお進めしますよ。 頑張ってください つまらない質問になるかな、と思いかなり悩んで投稿しておりましたのでご回答もらえて本当にありがとうございます。 もし私の話してきた事の中に原因があったのなら、それが原因だと言ってもらえば納得もするのだろうと思う反面、怖かったり・・・と堂々巡りの考えです。 書いていても、わかり辛いですよね、すみません・・今までの時間は一体なんだったんだろう、相手の時間も無駄にさせてしまったんだろうかって、相手に申し訳ない気持ちでいっぱいなんです。 彼の貴重な時間を、友人だのなんだのって綺麗事・・・?みたいに言ってる私の為に使わせてきてしまったんだろうかって。 色々相談してきたことも、たくさん話した事も全部無意味だったのかなぁ・・・・と。。。。 励ましの言葉まで頂いてしまい、本当にありがとうございました。

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