サム ポーター ブリッジ ス。 「Death Stranding」の主人公「サム・ポーター・ブリッジズ」(演:ノーマン・リーダス)が1/2スケールで立体化!

DEATH STRANDING(デス・ストランディング)考察

サム ポーター ブリッジ ス

商品の発売は2020年11月~2021年2月を予定しています。 その主人公である『 サム・ポーター・ブリッジズ』(演:ノーマン・リーダス)がHDミュージアムマスターラインで登場。 サムと共に旅をする方々には是非、その存在感を確かめて頂きたい。 HDミュージアムマスターライン版 『HDミュージアムマスターライン版』商品概要• 商品名:HDミュージアムマスターライン デス・ストランディング サム・ポーター・ブリッジズ• 商品価格:305,091円(税別)• 発売時期:2020年11月~2021年2月頃を予定• シリーズ名:HDミュージアムマスターライン• サイズ:H:106. 4cm W:48. 2cm D:54. 3cm• HDミュージアムマスターライン ブラックレーベル版 更なるリアルを追及する「特殊シリコン頭部版」となるHDミュージアムマスターラインブラックレーベル。 全世界500個限定生産(パッケージと台座裏にシリアルナンバーあり).

次の

DEATH STRANDING

サム ポーター ブリッジ ス

回復のための手段や過程、その成否、ありようは、作品によって異なる。 むしろ、その差異の際立たせ方こそが、作家の腕の見せ所である。 物語で回復が最終的に達成されない場合、それは悲劇(あんなに頑張ったのに報われないなんてかわいそう)、喜劇(そもそもこの人物は笑えるほど狂っていた)、あるいは不条理劇(〈人間性〉はいつまでたっても現れない)になる。 ) 道中でどんな展開があろうとも、はを救出することによって、かれ自身を回復する。 また、ほかの登場人物たちも、かれらなりの回復を体験する。 さまざまな出来事のなかで、が反省の色を見せたりするかもしれないし、臆病者のが頼れる人間に成長するかもしれない。 そのことが、物語世界全体に、なんらかの影響を及ぼす。 そして物語世界内のパラダイムの転換が語られる。 これが物語芸術一般におけるである。 この規則にたいするなんらかの意識をもたない物語はこの世に存在しない。 この作品においては、ふたつのものが回復される。 いずれもその手段は 「接続」である。 彼は人々の期待を文字通り背に負って、荷物を待つ人のもとへと届ける。 新城で作家が挙げた7つのの類型にあてはめると、サムは「さまよえる跛行者」だ。 これはのあらゆる物語にみられる類型で、しばしばの役を担う。 もうひとつ回復されるものは、 サム自身の失われた繋がりである。 他人に触れられることに不快感を覚え、組織から離れてに身をやつしていた彼は、表面的にも内面的にも孤独である。 それも、かなり根の深い孤独だ。 彼は社会のなかでりにうまくやっていくことができ、日常生活に問題はないが、人間にとってたいせつな、深い繋がりをもつことができていないのだ。 それでは、どのようにしてこの物語はふたつの失われた繋がりを回復したのか。 をしてから記事を読むことを強く推奨します。 伊能忠敬は(これは自身の的興味、子午線一度の距離を求めるための方便であったのだが)による蝦夷地への圧力を説得の材料とし、幕府に仕事をもらって、北方へと測量の旅に出た。 このほかにもさまざまな、無数の例が挙げられるが、とにかく肝要なのは、ある社会がなんらかの危機的状況に陥ったとき、その反応として、しばしば誰かが国土を一周し、地図を更新してきたことだ。 それによって公権力は自分たちが置かれた状況を把握することができ、適当な治政を行えた。 は社会に秩序をもたらし、それによって人々の繋がりが回復するのである。 測量をにした作品の傑作にがある。 画像は1926年の初版本。 は測量士だが、長篇まるまる一冊ぶん城のまわりをぐる回らされて、とうとう最後まで測量をさせてもらえないまま終わる。 したがっての個人的回復も、城が治めている社会の繋がりの回復もない。 これほど的確に現代の不安を言い当てている作品はちょっとない。 彼の目的は、彼がゆいいつ繋がりを持ちたいと思っている、西で捕らえられた 「」を救うことだけである。 その個人的な道程に、いわば社会が期待という重しをくくりつけているのだ。 ほんらいなら、他人の荷物など背負わずに、身軽なままで西へと駆け抜ければよかったはずだ。 彼は重しをくくりつけられてふらつくことで、の格を得ているのだ。 この世に欠けたところのない人間はいない。 したがって、すべての物語のは欠けている。 その欠損を埋めるためにが行動することによって、が生まれる。 人命という重しをくくりつけられ跛行するサム。 そうする理由もまた、重ね合わされている。 ひとつには、そうすることがとして面白いから。 また、彼が背負っているのは 大事な荷物(人々の期待、繋がり)であるから。 また、 ふらついている(=不安定な)彼を、として助けたいと思うから。 つまり私たちが、サムという人間を操作して彼を進めるとき、すでにふたつ以上のものが回復の過程にある。 ひとつは分断された社会、もうひとつはサム自身。 前者は個別の荷物を届け先に配送することで短期的に、後者はとのもとへ近づいていくことで長期的に、回復が達成されていく。 このふたつの目的がより糸のように絡みあっていて、はこれを手繰っていくのである。 重しをくくりつけられることによってとなった者のべつの例。 この荷物〈繋がり/期待〉を置いていくわけにはいかない。 そんなことではが進まないし、回復が達成されない。 そもそもて、彼の個人的な目的は、彼が興味をもたない公共的な目的、 「を再建する」( Great Again)という大義名分と、重ね合わされてしまっている。 そして西にたどり着いたとき、その自体が、物語の根幹にかかわるさまざまな現象の原因であると判明してしまう。 そのために、望んでいたサム自身の繋がりは、回復されない。 初見のでは状況をうまく飲み込めないし、だからこそあのはすばらしいのだが、西にたどりつき、あのビーチでを手渡されたとき、私はアメリを射殺しようとした。 として、そうしたかったからである(これはよく考えると人非人の行いであり、けっきょくは私のような人間が戦争を起こすのかと戦慄したのだが)。 しかしサムは、このときの操作を逸脱して、なおもアメリとの繋がりを求めようとする。 事情がわかってからこのを再見すると、ひじょうに悲しい。 あんなに頑張ったのに、サムは繋がりたいひとと繋がれなかったのだ。 唯一の希望であったアメリはどこかべつの次元へと流されていってしまい、今後の繋がりの可能性さえ失って、 「立ち往生」(Stded)するはめになったのだから。 いっぽうで、国家は回復する。 サムは 「建国」(測量)を達成し、マンによる就任のスが行われる。 しかし、サム自身はへの参加を望まない。 これは、うなずけることだ。 という国家の繋がりは回復したが、サム自身の跛行のきっかけとなった分断(アメリとの繋がりの消滅)は、回復されなかったのだから。 南米、ゥーラス川沿いの洞窟の壁に描かれた、おそらく人類最古の絵画芸術。 人々が左手を岩にあてて、右手で塗料をステンシルしたものとされる。 描かれたのは、現在から9000~1万0年前。 サムの全身に浮かぶ手形は、この壁画に関連させたのだろう。 閑話だが、われわれ作家は重たいを扱うとき、作中に冗語やをちりばめることがある。 そうしなければ、読者の気分が重くなりすぎるからだ。 は絶望にたいするなのであって、だからこそサムは帽子をかぶって河を下り、の顔負けな爆弾をBTに投げつける。 そうした遊びの表れは、古代人が洞窟の壁に手形をステンシルしたのと、同一の動機である〈ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』を参照せよ〉。 ) さて、このまま物語が終われば悲劇だが、最終的にサムはある種の救いを得ることになる。 それは 「・」(BB)、とこの世を繋ぐ胎児との、新しい繋がりである。 この繋がりは全編を通じてと醸成されていったものであり、もこの胎児をあやす行為に何度も参加していたので、説得力がある。 その・も、ついに機能を停止してしまう。 サムが 「ルー」と名付けた装備品を処理するために、彼は最後の配達に出かける。 行き先は、序盤で前を焼却したのと、おなじ焼却炉である。 さて、・の遺体を運び終えて、火葬炉に乗せたサムは、ふと思いとどまって、遺体をもど胸に抱く。 作中はじめてから・を取り出し、手で触れて、必死に目覚めさせようとする。 「ーシス」の始まりと思われる黒い粒子が遺体から吹き出るが、サムは意に介さない。 それよりも、の目がもど開いてほしいと思う。 なぜなら、国家との繋がりであった手錠を捨てたいま、彼に残された最後の繋がりである・と別れることは、完璧な孤独のはじまりであると思い至ったからだ。 だからこそ彼は・を胸にかき抱き、遺体にぺたぺたと触れて、必死に繋がろうとしたのだ。 虹を架け橋と見るのであれば、作中になんども登場する弧が下向きの異常な虹は、橋としての用を成さない、分断の象徴である。 このような橋を、どうやって渡ればよいのか。 あるいは、これは吊り橋なのであって、此岸と彼岸を繋ぐものであるのかもしれない。 から取り出された・は、サムの腕のなかで生を取り戻す。 それは死んでいたのであって、、再誕である。 ここで、虹が架かる。 それはいままで作中に何度も現れていた、弧が下向きの異常な虹ではない。 弧が上向きの正常な虹である。 世界を滅ぼすほどの大洪水のあと、箱船のなかのノアとその子らにむけて、主は「契約」について言及する。 「はあなたがた及びあなたがたの後の子孫と契約を立てる。 またあなたがたと共にいるすべての、あなたがたと共にいる鳥、家畜、地のすべての獣、すなわち、すべて箱舟から出たものは、地のすべての獣にいたるまで、はそれと契約を立てよう。 があなたがたと立てるこの契約により、すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は、再び起らないであろう」 さらに神は言われた、「これはと、あなたがた及びあなたがたと共にいるすべてのとの間に代々かぎりなく、が立てる契約のである。 すなわち、は雲の中に、にじを置く。 これがと地との間の契約のとなる。 が雲を地の上に起すとき、にじは雲の中に現れる。 こうして、は、とあなたがた、及びすべて肉なるあらゆるとの間に立てた契約を思いおこすゆえ、水はふたたび、すべて肉なる者を滅ぼす洪水とはならない。 神は契約をし、絶滅は延期されたのだ。 ここまで来ると、神性を抜きにして語ることはできないだろう。 サムの腹には 聖痕()が刻まれており、また彼は 帰還者(復活するキ)だ。 そして彼は さまざまな世界(それぞれののの)に 遍在(Omnipresence/神の性格のひとつ)する。 また、・はとリサの子であると同時に、サム自身でもある。 物語は、人々が繋がるための基礎である国家を回復したところで終わる。 また、サムは・との繋がりを回復し、それによって彼自身をある程度回復するが、その先がどうなるのかはわからない。 のように、「それから彼らは幸せに暮らしました」と終わるわけではない。 さて、はどうすればよいのか? 作品のなかの繋がりからわれわれの繋がりへ ・が 『闇の中の男』で分断した合衆国を描いたのは、のことだった。 この小説のなかでは、のは起こらなかったが、そのかわりに国をまたぐ内戦が起こり、人々は繋がりを絶たれ、孤独と飢えに苦しんでいた(という夢を作中の書評家が見ていた)。 BTっぽい。 ) それから9年後、の受賞スで、はつぎのように語った。 「たちはいま、異なる種族が互いに強く反目し、ばらばらに忌み嫌い合うような時代を生きています。 私が糧にしている文学という分野がそうであるように、は、互いを分断する壁を越え、人類として共に何に立ち向かっていくべきなのかをさせてくれます。 ののちに発生した、古い。 合衆国北部と南部における政治的分断を揶揄したもの。 赤が「ジーザド」、共和国主義が優勢な地域。 青が「合衆国」、が優勢な地域。 なぜかが巻き込まれているところが笑える。 それはまだ起こっていないが、起きていない現状のほうが奇跡なのであって、そのうちに起きるだろう。 『』も、あきらかにこの流れの系譜に連なるものだ。 「二つの」は、のにおける、トレード・崩壊のこと。 余談だが、あのときビルの上層階にいた多くの人々は、迫り来る炎と煙に耐えられず、割れた窓から自分で飛び降りることを選んだ。 これは「芸術がいったい何の役に立つのか?」という問いを発した者たちに、芸術作品の「効能」を伝えるための方便だった。 まだ科学技術が進歩していなかったころ、炭鉱夫たちは、しばしば籠に入れたを坑道に運び入れて、ともに仕事をした。 というのも、はじつに敏感なで、ほんのすこしでも地中の危険なガスを察知すると、大騒ぎをするからだ。 それが炭鉱夫のための警鐘の役割を果たした。 作中に登場するオドラデグは、BTを察知するとじつにうるさく騒ぎ立てる。 彼らもまたなのだ。 のなかではものすごく役に立っているが、名前のもとになっているツ・「家長としての心配」に登場するオドラデグは、まったくぜんぜんなんの役にも立たない。 そのために、芸術家は存在しているのだ(これはもちろん、半分は皮肉だ)。 しかし彼のこの発言から半世紀が経って、世界を見渡してみると、 もはやこれを皮肉と笑い飛ばせないような有様になっている。 リプライという棒が他者を袋だたきにし、ライクの縄が人々を締め上げる。 タンカーが沈み、が飛び、が中東の石油施設を破壊する。 ォードは、戦争と、戦争を行っている人間も私たちのうちにいることをさせるために、本作に登場する。 彼が国家権力によって騙され、子供を奪われてBBにされてしまったことは、すべての国家権力が大義のためだと軍人を騙して派兵したことと重ね合わされる。 彼の橋は国家によって燃やされてしまったのであり、したがって彼は炎を意に介さない。 彼らは黒子であり、決して表彰されることはないし、 まちがっても平和賞など与えられないだろう。 作中のサムが、称えられてもおかしくないほどの功績を挙げながら、から言及されなかったこととおなじように。 さて、気づきでない方のために言うと、 サムワンとは、私たち全員である。 作品をした人、していない人、あらゆる人々の友人が、サムであり、ポーターであり、架け橋なのである。 だからこそは名指しをしなかった。 私たちのの固有のに登場したサムは、べつの世界のべつのサムと接続し、彼らの建てた梯子や橋を渡って、目的地へとたどり着いた。 したがってサムは遍在しているのであり、特定の誰かひとり、といった存在ではない。 だからこそ「明日は私たちの手に委ねられている」のであって、この終章に終わりがないのである。 すくなくとも、私はそうした。 そうして、私は自身をいくらか回復した。 そして結局のところ、そうすることこそが、この作家がいま、私たちであるすべてのサムに望んでいることなのだと思う。

次の

『デス・ストランディング』主人公サムが1/2スケール(106cm)で立体化。質感や装備のディティールまで完全再現。お値段30万超!

サム ポーター ブリッジ ス

もしもある物語が語られるのならば、その物語に登場する人物あるいは世界が、なんらかのかたちで 「回復」されようとしなければならない。 回復のための手段や過程、その成否、ありようは、作品によって異なる。 むしろ、その差異の際立たせ方こそが、作家の腕の見せ所である。 物語で回復が最終的に達成されない場合、それは悲劇(あんなに頑張ったのに報われないなんてかわいそう)、喜劇(そもそもこの人物は笑えるほど狂っていた)、あるいは不条理劇(ゴドー〈人間性〉はいつまでたっても現れない)になる。 ) 道中でどんな展開があろうとも、マリオはピーチ姫を救出することによって、かれ自身を回復する。 また、ほかの登場人物たちも、かれらなりの回復を体験する。 さまざまな出来事のなかで、クッパが反省の色を見せたりするかもしれないし、臆病者のルイージが頼れる人間に成長するかもしれない。 そのことが、物語世界全体に、なんらかの影響を及ぼす。 そして物語世界内のパラダイムの転換が語られる。 これが物語芸術一般における金科玉条である。 この規則にたいするなんらかの意識をもたない物語はこの世に存在しない。 この作品においては、ふたつのものが回復される。 いずれもその手段は 「接続」である。 彼は人々の期待を文字通り背に負って、荷物を待つ人のもとへと届ける。 新城カズマで作家が挙げた7つのキャラクターの類型にあてはめると、サムは「さまよえる跛行者」だ。 これは古今東西のあらゆる物語にみられる類型で、しばしば主人公の役を担う。 もうひとつ回復されるものは、 サム自身の失われた繋がりである。 他人に触れられることに不快感を覚え、組織から離れてフリーランスに身をやつしていた彼は、表面的にも内面的にも孤独である。 それも、かなり根の深い孤独だ。 彼は社会のなかでそれなりにうまくやっていくことができ、日常生活に問題はないが、人間にとってたいせつな、深い繋がりをもつことができていないのだ。 それでは、どのようにしてこの物語はふたつの失われた繋がりを回復したのか。 ゲームをクリアしてから記事を読むことを強く推奨します。 文/ 編集/ 目次• 伊能忠敬は(これは自身の天文学的興味、子午線一度の距離を求めるための方便であったのだが)帝政ロシアによる蝦夷地への圧力を説得の材料とし、幕府に仕事をもらって、北方へと測量の旅に出た。 このほかにもさまざまな、無数の例が挙げられるが、とにかく肝要なのは、ある社会がなんらかの危機的状況に陥ったとき、その反応として、しばしば誰かが国土を一周し、地図を更新してきたことだ。 それによって公権力は自分たちが置かれた状況を把握することができ、適当な治政を行えた。 新しい地図は社会に秩序をもたらし、それによって人々の繋がりが回復するのである。 測量をテーマにした作品の傑作にがある。 画像は1926年の初版本。 主人公は測量士だが、長篇まるまる一冊ぶん城のまわりをぐるぐると回らされて、とうとう最後まで測量をさせてもらえないまま終わる。 したがって主人公の個人的回復も、城が治めている社会の繋がりの回復もない。 これほど的確に現代の不安を言い当てている作品はちょっとない。 彼の目的は、彼がゆいいつ繋がりを持ちたいと思っている、西で捕らえられた 「ピーチ姫」を救うことだけである。 その個人的な道程に、いわば社会が期待という重しをくくりつけているのだ。 ほんらいなら、どうでもいい他人の荷物など背負わずに、身軽なままで西へと駆け抜ければよかったはずだ。 彼は重しをくくりつけられてふらつくことで、主人公の格を得ているのだ。 この世に欠けたところのない人間はいない。 したがって、すべての物語の主人公は欠けている。 その欠損を埋めるために主人公が行動することによって、ドラマが生まれる。 人命という重しをくくりつけられ跛行するサム。 そうする理由もまた、重ね合わされている。 ひとつには、そうすることがゲームとして面白いから。 また、彼が背負っているのは 大事な荷物(人々の期待、繋がり)であるから。 また、 ふらついている(=不安定な)彼を、プレイヤーとして助けたいと思うから。 つまり私たちプレイヤーが、サムという人間を操作して彼を進めるとき、すでにふたつ以上のものが回復の過程にある。 ひとつは分断された社会、もうひとつはサム自身。 前者は個別の荷物を届け先に配送することで短期的に、後者はゆっくりとピーチ姫のもとへ近づいていくことで長期的に、回復が達成されていく。 このふたつの目的がより糸のように絡みあっていて、プレイヤーはこれを手繰っていくのである。 重しをくくりつけられることによって主人公となった者のべつの例。 この荷物〈繋がり/期待〉を置いていくわけにはいかない。 そんなことではゲームが進まないし、回復が達成されない。 そもそもからして、彼の個人的な目的は、彼が興味をもたない公共的な目的、 「アメリカを再建する」(Make America Great Again)という大義名分と、重ね合わされてしまっている。 そして西にたどり着いたとき、そのアメリカ自体が、物語の根幹にかかわるさまざまな現象の原因であると判明してしまう。 そのために、望んでいたサム自身の繋がりは、回復されない。 初見のプレイでは状況をうまく飲み込めないし、だからこそあのシーンはすばらしいのだが、西にたどりつき、あのビーチでリボルバーを手渡されたとき、私はアメリを射殺しようとした。 プレイヤーとして、そうしたかったからである(これはよく考えると人非人の行いであり、けっきょくは私のような人間が戦争を起こすのかと戦慄したのだが)。 しかしサムは、このときプレイヤーの操作を逸脱して、なおもアメリとの繋がりを求めようとする。 事情がわかってからこのカットシーンを再見すると、ひじょうに悲しい。 あんなに頑張ったのに、サムは繋がりたいひとと繋がれなかったのだ。 唯一の希望であったアメリはどこかべつの次元へと流されていってしまい、今後の繋がりの可能性さえ失って、 「立ち往生」(Stranded)するはめになったのだから。 いっぽうで、国家は回復する。 サムは 「建国」(測量)を達成し、ダイハードマンによる大統領就任のスピーチが行われる。 しかし、サム自身はアメリカへの参加を望まない。 これは、うなずけることだ。 アメリカという国家の繋がりは回復したが、サム自身の跛行のきっかけとなった分断(アメリとの繋がりの消滅)は、回復されなかったのだから。 南米アルゼンチン、ピントゥーラス川沿いの洞窟の壁に描かれた、おそらく人類最古の絵画芸術。 人々が左手を岩にあてて、右手で塗料をステンシルしたものとされる。 描かれたのは、現在から9000~1万3000年前。 サムの全身に浮かぶ手形は、この壁画に関連させたのだろう。 閑話だが、われわれ作家は重たいテーマを扱うとき、作中に冗語やユーモアをちりばめることがある。 そうしなければ、読者の気分が重くなりすぎるからだ。 ユーモアは絶望にたいするカウンターウェイトなのであって、だからこそサムはラッコ帽子をかぶって河を下り、Team Fortress 2のスパイ顔負けなおしっこ爆弾をBTに投げつける。 そうした遊びの表れは、古代人が洞窟の壁に手形をステンシルしたのと、同一の動機である〈ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』を参照せよ〉。 ) さて、このまま物語が終われば悲劇だが、最終的にサムはある種の救いを得ることになる。 それは 「ブリッジ・ベイビー」(BB)、あの世とこの世を繋ぐ胎児との、新しい繋がりである。 この繋がりはゲーム全編を通じてゆっくりと醸成されていったものであり、プレイヤーもこの胎児をあやす行為に何度も参加していたので、説得力がある。 そのブリッジ・ベイビーも、ついに機能を停止してしまう。 サムが 「ルー」と名付けた装備品を処理するために、彼は最後の配達に出かける。 行き先は、ゲーム序盤でアメリカ合衆国前大統領を焼却したのと、おなじ焼却炉である。 さて、ブリッジ・ベイビーの遺体を運び終えて、火葬炉に乗せたサムは、ふと思いとどまって、遺体をもういちど胸に抱く。 作中はじめてポッドからブリッジ・ベイビーを取り出し、手で触れて、必死に目覚めさせようとする。 「ネクローシス」の始まりと思われる黒い粒子が遺体から吹き出るが、サムは意に介さない。 それよりも、この子の目がもういちど開いてほしいと思う。 なぜなら、国家との繋がりであった手錠を捨てたいま、彼に残された最後の繋がりであるブリッジ・ベイビーと別れることは、完璧な孤独のはじまりであると思い至ったからだ。 だからこそ彼はブリッジ・ベイビーを胸にかき抱き、遺体にぺたぺたと触れて、必死に繋がろうとしたのだ。 虹を架け橋と見るのであれば、作中になんども登場する弧が下向きの異常な虹は、橋としての用を成さない、分断の象徴である。 このような橋を、どうやって渡ればよいのか。 あるいは、これは吊り橋なのであって、此岸と彼岸を繋ぐものであるのかもしれない。 ポッドから取り出されたブリッジ・ベイビーは、サムの腕のなかで生を取り戻す。 それは死んでいたのであって、黄泉がえり、再誕である。 ここで、虹が架かる。 それはいままで作中に何度も現れていた、弧が下向きの異常な虹ではない。 弧が上向きの正常な虹である。 世界を滅ぼすほどの大洪水のあと、箱船のなかのノアとその子らにむけて、主は「契約」について言及する。 「わたしはあなたがた及びあなたがたの後の子孫と契約を立てる。 またあなたがたと共にいるすべての生き物、あなたがたと共にいる鳥、家畜、地のすべての獣、すなわち、すべて箱舟から出たものは、地のすべての獣にいたるまで、わたしはそれと契約を立てよう。 わたしがあなたがたと立てるこの契約により、すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は、再び起らないであろう」 さらに神は言われた、「これはわたしと、あなたがた及びあなたがたと共にいるすべての生き物との間に代々かぎりなく、わたしが立てる契約のしるしである。 すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。 これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。 わたしが雲を地の上に起すとき、にじは雲の中に現れる。 こうして、わたしは、わたしとあなたがた、及びすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた契約を思いおこすゆえ、水はふたたび、すべて肉なる者を滅ぼす洪水とはならない。 神は契約を思い出し、絶滅は延期されたのだ。 ここまで来ると、神性を抜きにして語ることはできないだろう。 サムの腹には 聖痕(十字架)が刻まれており、また彼は 帰還者(復活するキリスト)だ。 そして彼は さまざまな世界(それぞれのプレイヤーのゲームのインスタンス)に 遍在(Omnipresence/神の性格のひとつ)する。 また、ブリッジ・ベイビーはクリフとリサの子であると同時に、サム自身でもある。 物語は、人々が繋がるための基礎である国家を回復したところで終わる。 また、サムはブリッジ・ベイビーとの繋がりを回復し、それによって彼自身をある程度回復するが、その先がどうなるのかはわからない。 おとぎ話のように、「それから彼らは永遠に幸せに暮らしました」と終わるわけではない。 さて、プレイヤーはどうすればよいのか? 作品のなかの繋がりからわれわれの繋がりへ ポール・オースターが 『闇の中の男』で分断した合衆国を描いたのは、2008年のことだった。 この小説のなかでは、2001年の9. 11同時多発テロは起こらなかったが、そのかわりに国をまたぐ内戦が起こり、人々は繋がりを絶たれ、孤独と飢えに苦しんでいた(という夢を作中の書評家が見ていた)。 BTっぽいカバーイラスト。 ) それから9年後、ノーベル文学賞の受賞スピーチで、カズオ・イシグロはつぎのように語った。 「わたしたちはいま、異なる種族が互いに強く反目し、ばらばらに忌み嫌い合うような時代を生きています。 私が生きる糧にしている文学という分野がそうであるように、ノーベル賞は、互いを分断する壁を越え、人類として共に何に立ち向かっていくべきなのかを思い出させてくれます。 2004年アメリカ大統領選挙ののちに発生した、古いインターネット・ミーム。 合衆国北部と南部における政治的分断を揶揄したもの。 赤が「ジーザスランド」、共和国主義が優勢な地域。 青が「カナダ合衆国」、民主主義が優勢な地域。 なぜかカナダが巻き込まれているところが笑える。 それはまだ起こっていないが、起きていない現状のほうが奇跡なのであって、そのうちに起きるだろう。 『DEATH STRANDING』も、あきらかにこの流れの系譜に連なるものだ。 「二つの対消滅」は、2001年の同時多発テロにおける、ワールドトレードセンター・ツインタワー崩壊のこと。 余談だが、あのときビルの上層階にいた多くの人々は、迫り来る炎と煙に耐えられず、割れた窓から自分で飛び降りることを選んだ。 これは「芸術がいったい何の役に立つのか?」という問いを発した物理学者たちに、芸術作品の「効能」を伝えるための方便だった。 まだ科学技術が進歩していなかったころ、炭鉱夫たちは、しばしば籠に入れたカナリアを坑道に運び入れて、ともに仕事をした。 というのも、カナリアはじつに敏感な生き物で、ほんのすこしでも地中の危険なガスを察知すると、大騒ぎをするからだ。 それが炭鉱夫のための警鐘の役割を果たした。 作中に登場するオドラデグは、BTを察知するとじつにうるさく騒ぎ立てる。 彼らもまたカナリアなのだ。 ゲームのなかではものすごく役に立っているが、名前のもとになっているフランツ・カフカ「家長としての心配」に登場するオドラデグは、まったくぜんぜんなんの役にも立たない。 そのために、芸術家は存在しているのだ(これはもちろん、半分は皮肉だ)。 しかし彼のこの発言から半世紀が経って、世界を見渡してみると、 もはやこれを皮肉と笑い飛ばせないような有様になっている。 リプライという棒が他者を袋だたきにし、ライクの縄が人々を締め上げる。 タンカーが沈み、ドローンが飛び、巡航ミサイルが中東の石油施設を破壊する。 クリフォードは、戦争と、戦争を行っている人間も私たちのうちにいることを思い出させるために、本作に登場する。 彼が国家権力によって騙され、子供を奪われてBBにされてしまったことは、すべての国家権力が大義のためだと軍人を騙して派兵したことと重ね合わされる。 彼の橋は国家によって燃やされてしまったのであり、したがって彼は炎を意に介さない。 彼らは黒子であり、決して表彰されることはないし、 まちがってもノーベル平和賞など与えられないだろう。 作中のサムが、称えられてもおかしくないほどの功績を挙げながら、大統領から言及されなかったこととおなじように。 さて、まだお気づきでない方のために言うと、 サムワンとは、私たち全員である。 作品をプレイした人、していない人、あらゆる人々の友人が、サムであり、ポーターであり、架け橋なのである。 だからこそ大統領は名指しをしなかった。 私たちのゲームの固有のインスタンスに登場したサムは、べつの世界のべつのサムと接続し、彼らの建てた梯子や橋を渡って、目的地へとたどり着いた。 したがってサムは遍在しているのであり、特定の誰かひとり、といった存在ではない。 だからこそ「明日は私たちの手に委ねられている」のであって、この終章に終わりがないのである。 すくなくとも、私はそうした。 そうして、私はわたし自身をいくらか回復した。 そして結局のところ、そうすることこそが、この作家がいま、私たちであるすべてのサムに望んでいることなのだと思う。

次の